読書の森

有吉佐和子『恍惚の人』




先日「すごい小説は遠くなってしまった」と書きました。

ただ凄い小説に挙げられた50作は、超現実的な世界や深層心理を描いたものだけではありません。
今日の問題を予見したような身に迫る小説もあります。

昭和47年に出版された『恍惚の人』もその一つです。
痴呆老人を扱って、高齢社会の今日に切実となった状況を赤裸々に描いています。

有吉佐和子は現実の介護にぶつかった訳ではありません。
昭和半ばに高齢社会について調査し、資料を当たってこの小説を書き上げたのです。
作家とは予言者にもなり得るといつも思います。

大ベストセラーになりましたが、当時の文壇では、文学の香気が感じられないと全く賞には無縁の作品でありました。

文学、美術に限らず、後になって価値が分かるものは多いと思います。

物語は姑に死なれた舅を世話する、職業婦人だった嫁の視点で書かれています。

言わば辛い介護の物語でもあります。

ややリアリティに欠けますが、この物語の骨子と思える言葉には心から同感しました。
「長い人生を営々と歩んできて、その果てに老耄が待ち受けてるとしたら、では人間はまったく何のために生きたことになるのだろう」

リアリティに欠けると言ったのは、痴呆状態になった事に苦しむ母を介護していたからです。
適切な介護が出来たとは決して思いません。
自分の頭がボケたと認めたくない母の苦しみがひしひしと伝わって辛かったのです。

ボケて周りがわからない訳ではなく、感情は変わらず働くという事を母を通して理解できました。

丈夫で長生きなだけより、最後までその人らしく生きられた方がはるかに幸せだと思えます。

この作品は、発刊された昭和47年に日比谷公園で単行本を読みました。
卒業後病にかかった私は冴えない就職浪人でした。
職を求めるのに疲れて休んだ日比谷公園のベンチでは、ルンペン(ホームレス)がタバコを吸ってました。
無性に別の世界に没頭したくなってました。
離れたベンチで私は一気にこの本を読み上げました。

その頃の私には、老いも親の介護も遠い遠い問題でした。
何とかして職を得たいだけでした。
それが、この深刻な問題の世界を垣間見た時、何故か心が楽になりました。

「皆それぞれ問題を抱えている、自分だけの問題に囚われずもっと広い社会を見よう」というのがその頃の実感でした。

お陰様でその後、正社員になる事が出来、働き続ける事で小さなマンションが購入出来ました。

『恍惚の人』の効用と言っては違うみたいですが、読書は不思議な力を持ってます。



付け足しです。
本日、安納芋の焼き芋を作りました。

作り方は、芋を洗って、アルミホイルに包んでトースターに入れ、一番高い温度で30分ほど焼きました。
小さいお芋だったので、これで串がスッと通って焼き芋の味に近くなりました。
甘くてほっくりして美味しかったです。

こうして、毎日料理が作れて食べられるという事が私の「恍惚の人」予防法です。

作って食べるリズムの毎日を一生続けられたら幸せですね。



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コメント一覧

airport_2014
@hayane-hayaoki 最近殆ど文学作品に触れてないのですが、いつの時代も作家の感性は鋭いですね。

安納芋の焼き芋ですが、袋の中に調理法を載せた紙が入ってました。
この頃の野菜などの袋に調理法がついてるのが多いですね。
hayane-hayaoki
有吉佐和子さんや宮部みゆきさんは、今後の時代の問題を小説として一般人にもわかりやすく提起してくれますよね。
まさに預言者ですよね。警鐘は聞こえても、対応はできないのですが。
安納芋の焼き芋、美味しそう!
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