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確かに高級住宅地に建つマンションの建物は美結のものであった。
ただし、それは借地権だけだった。
土地は地主が所有して、美結は借りる権利を有している。
美結が契約書をきちんと読み直すと、旧いマンションの為に土地を借りる権利が残り18年しかない。
しかも更新出来ないのだ。
恐らく地主はより高い売値でこの土地を売却するのだろう。
それを知りながら、美結の代理人である弁護士は盲判を契約書に押させた。
人を信じ易い身寄りのない彼女を騙した訳である。
文句を言おうにも、肝心の交渉する会話が聞こえなかったのだ。
不動産から礼金を利益を受け取ったのであろう。
しかし、何の証拠も残っていない。
美結は心が凍る思いがした。
24歳の夏であった。
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その後、美結は聴覚障害者として大企業に雇用された。
システムエンジニアとしての技術が買われたのだ。
コンピュータ室の中で終日、プログラミングをする。
それも以前の会社と比べて責任の軽い仕事だった。
美結が口を聞かないので、同僚は皆、聾唖者として美結を見ていた。
美結は単調で退屈な毎日に耐えた。
そして14年の月日が流れた。
今の上司は世話焼きだった。
一人ぼっちの美結を忘年会に連れ出そうとした。
美結はやっと皆と酒を飲む機会を得た。
しかし、口の聞けない耳も聞こえない可哀想な人と、気を使われるのが嫌だった。
そうではないのだと、叫びたい気持ちを隠してその場を辞した。
火照った頬を寒気に当てて歩いていると、妙な男が後をついてくる様だ。
閉じ込めていた恐怖感が蘇る気がした。
これは、美結が大輔の車を呼び止めるまでの話である。