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魔法をすてたマジョリン

2014-03-28 01:10:10 | 劇団四季

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 懐かしいです。

ともだちって大切。仲間がいれば勇気が湧いてくる。

臭い感じがするのだけど、どうでしょう。いったん観てしまえば忘れていた(現実のしがらみの中で損得で生きてきた自分を猛省すること請け合いです。)

♪こころからこころへ♪ 実ははるか昔に聞いたことのある曲でした。

ってことは劇団四季のものかどうかは不明だがこのミュージカルを観たことがあるわけです。

♪魔女の生きる道♪もわずかに覚えていたなあ。

ほかにも♪ありがとう♪ ♪こころの奥をみつめてごらん♪ ストレートな歌詞と曲に惹かれます。

 

 

 

 


合唱曲 語り合おう 

2014-03-12 02:04:06 | 劇団四季
合唱曲 語り合おう 高音質


たしか「エルリックコスモスの239時間」というミュージカルのナンバーだったような記憶です。
ストレートな歌詞はいいですね。

このミュージカルを劇団四季のミュージカルで観て、その後学芸会で演じたわ。
ナレーター役でしたけど・・・。

歌は聴いた瞬間にその当時の記憶へと一気に飛ばしてくれる効用がありますね。
当時小5でしたけど、その記憶 配役はオーディションで決まったこと。
主役のエルコス希望が3人いて、1人落ちてその落胆した様子。

それから自分のセリフ 第二幕があいてすぐに

「エルコスが誕生して、232時間がたちました。心を閉ざしていたユートピア学園の生徒たちも今では
エルコスに夢中です。」

たったこれだけ。これだけのセリフを毎日放課後 3時間も繰り返してた。

ただし、本番ではカミカミだったのですよ。はあ。


夏休みには劇団四季を。

2011-08-03 23:31:15 | 劇団四季



7月末、急遽連休となったので 劇団四季を観にいった。

初日は「美女と野獣」、二日目は「魔法をすてたマジョリン」。

当初、美女と野獣は子供だましのイメージがつきまとっていて、乗り気ではなかったのだが

一気に入り込んでしまった・・・。

旅行もそうだが、非日常への体験をすると英気を味わえる。また明日からの糧になるような

気がした。


魔法をすてたマジョリン。 この演目との出会いは

小学2年生のとき。小学校の体育館にどこかの劇団がやってきて演じたように記憶している。

そのとき ♪こころからこころへ♪ の歌詞がリフレインのようになっていて

内容は覚えていないが、メロディと歌詞は覚えているという ある種永遠の名曲

エバーグリーン状態だった。

それが数年前、線になった。演目、内容と曲が頭のなかで合致したのだ。

いい曲だなあと思っていて、風呂に入るとき、自転車で帰宅するときなど口ずさんでいたものだから

嬉しさ倍増だった。


ちなみにエバーグリーン(ふと気がつくと口ずさむ曲)には

昔のCMで ♪これは花の色が悪くなるハダニ・・・(途中歌詞不明)カダン×3 お花を大切に・・・♪

今でも歌詞は不明なのだけど メロディが離れない究極の一曲なのだ。歌詞には他に

かぶらむし、カッパン病、うどん粉病、るるるるるなどがあったような、なかったような・・・

それにつけてもカッパン病って何だろう?

記憶ではこのCMの後、三枝の国盗りゲームなる番組がやっていたような・・・。

だれかご記憶の方 お教えください。


話は戻って このマジョリン 演目終了後にお見送りがあってこれまたびっくり。

主役の方と握手していただいた。

自分は逆立ちしても四季には演者として入れないし(あ、逆立ちもできませんが・・・)、

あの柔軟性、歌唱力、ダンスなどなど脱帽するばかり。

そうしてひたむきに才能があっても 奢ることなく努力をし続けているから

あの舞台ができるのだなあと思うと

「もっと精進!あともう少しだけがんばってみよう。」とやる気が出てくる。

例えば四季の方が基礎トレーニングを毎日やることは自分にとっては

サイトラ30分にあたるのかな。

いつも仕事をしていると毎日の緊張感、ストレス、立場などにより

社会的に仮面を装った自分だったり 社会の趨勢に従った動きをとることが多かったりで

時にこの凝りをほぐすのに 四季の舞台は一番即効性があるのだろう。

感動し、時に涙を流すのは健全な精神状態に戻すリセットボタン。

そうだ、四季を観よう。










美女と野獣

2011-07-31 08:40:06 | 劇団四季


昨日7月30日(土曜日)劇団四季のミュージカル「美女と野獣」を観にいってきた。

B席の後ろのほうだったけど、発音が明瞭、くっきりはっきり聞こえる あの発声法は賛否両論は

あるようだけど はっきりわかるという点で凄いと思う。

そういえば渡辺美里も発音がすこぶるよい。あんな早口言葉みたいな曲をきちんと歌うので

はまった。思えば劇団四季と渡辺美里も共通点だったりする。


美しい日本語講座というのに参加したときも目からうろこだった。

美しい日本語を守り、通じさせようとする姿勢は本当に感銘がもてる。

母音を明瞭にし、子音部分は乗せるように発声している。

セミナーでは「ともだちはいいもんだ」の歌詞を取り上げ、

ともだちはいいもんんだ の母音だけでメロディに乗せて歌う練習をしていた。

おおあいあいいおんあ のように、さらにそれぞれの母音の口の形まで講義なさっていた。

一曲 母音で歌うだけであごが・・・痛い。 

つまりは日ごろ、いかに適当にしゃべっていたわけで反省である。

そしてもう一つ、この曲小学生の頃から歌っているはずだけど、

四季の劇団員の方と一緒に歌ったら 異様なほど音程が難しく、歌いきれていないこともわかった。


話は少し変わるが、

近頃の若者たちが使う平板調なことば使いに内輪だけで通じるような省略語にますます???な気持ちになった。

例えば 

おな小→同じ小学校 まあこれはわからなくはないが

オナ中→同じ中学校 や オナマン→同じマンション

これらはどうだろう?初めて聞いたとき何を言っているのと身構えてしまった・・・(笑)

他にもオコ→怒っている 「ちゃんと言え!」と言ってやりたい。

こう言ったことばはいずれ廃れる運命なのだろうけど

自分が中高生だった頃、一種連帯感の表れのような若者語にどんなものがあっただろうか?

ちょべりば、まじうんこ(ちくしょうってことらしい)などあったけど使った記憶がない。

むしろ 「すごいいい。」と言われると 

「すごくいい。」いいは形容詞なのだから それを修飾するのは副詞だろ!

と思っていた節がある。理屈っぽかった。

全体の傾向として 文章、言葉は簡略化される方向になっているように思える。

ツイッターの○○ナウ だってそうだ。現在○○している と言わないのは字数制限のせいばかりでは

ない気がしてならない。

ケータイ小説が流行らないのは 読みやすいのだろうが

読後感 特になし。本を通して別の世界に誘ってはくれない。 

読者に想像や影響を与えることも特になしだからではないか。

これからの日本語の行く末が気になる。








マンマミーア

2011-04-24 02:24:16 | 劇団四季



先日 マンマミーアを観に行きました。

さすが劇団四季。きちんとせりふも聞き取れ
歌もうまい、さすがです。いつ観ても安心して楽しめる
レベルが高いと思います。
その分 「練習は半端ないんだろうな。」

劇団四季はオール5の集まりで、
ディズニーが4で、わはは本舗は1でもOK(個性だけ評価)
っていう人がいるんですけど あながち間違えていない気もします。

感動とやる気をもらっているので
いつか近い未来に通訳案内したお客さまを四季の舞台に連れて
いければいいなとはいつも思っています。
パフォーマンス中は通訳で喋れないから、Catsなんかがいいですかね。

資格を取るために長く時間がかかったガイド試験。その途中には
くじけそうになって、あきらめかけたこともありました。

そんな時 自分を鼓舞するために劇団四季。
「自分もがんばらなくては。彼らはあんなにがんばっている。」
やる気スイッチのオンに必要なものでした。
また反対に 合格した時も自分にご褒美をあげるため劇団四季。

ディープなファンではないので出演者はよく知らないけど
名前を覚えた俳優がいました。
その名は鎌滝健太さん。
なぜかといえば名古屋公演で数回行ったマンマミーアで
いつも役が同じだったからでした。(役名は忘れた)
化学反応が起こったとか言って、ひたすらニコニコしながら踊る、歌う、
踊りまくる。

笑って歌って、踊るっていうのは相当できる証拠だろう。驚きです。

この方はこの前買った「エルコスの祈り」の生徒役にもいたのでした。
ジョンという役で。
学芸会(当時は「エルリックコスモスの239時間」というタイトルだった)
で演じたことがあるだけに親近感をもったのでしたが
退団なさっていました。

もっと違う役どころも観てみたかったのが感想です。マンマミーアの父親のひとりとか。
ねっとりした声の人がどうも苦手で・・・

アバの曲はなじみやすいし、笑い満載、結婚式前のココロの機微みたいなものが伝わって
感動しますよ。
早く日本語版とDVDにならないだろうかと切に願うばかりです。