日本をセールス!通訳案内士

日本観光、エンタメ、旅行、英語etc 日々の雑感

トイレ

2011-05-25 03:37:10 | 添乗



添乗員がお客様を連れて とある目的地に着き

そのときまずするべきことは?

と訊かれれば 人数と乗り場の確認だと習った。

しかし、現実は違う。

まず第一にトイレの確認であると思う。

そのくらいトイレ、トイレ~、トイレー!と言われる。

トイレといえば

少し前外国人と京都に行ったとき 下見の大切さを痛感する事件がおきた。

東京と違って公共施設は和式トイレだけ、さらに紙が備えつけられていない

ところが多かった。

市バスで金閣へ移動。京都駅からは思ったより混み、しかも渋滞だったため予定よりだいぶ遅れた。

金閣は金閣で修学旅行生でごった返していた。

トイレ休憩をしたとき

「紙をちょうだい。」という声が聞こえてきた。

春先で花粉症のため 自分のリュックサックには大量のティッシュはあることはあるが

女子トイレなので入れない。

そのため 近くにいたどこかの女子修学旅行生に頼んで

渡してもらった苦い経験がある。ただそのポケットティッシュは街頭で配っている

風俗店のものだったので気がひけたがそうも言っていられなかった。

ないよりましってところか。


通訳ガイドの仕事は確かに 金閣についての情報やその頃の文化など相手の興味に

合うような内容にするのも大切である。

だが、それ以上にもっと重要なのはトイレや食事といったソフト面のほうである。

ホスピタリティと一口にいっても相手が当然してもらえるはずと

期待している部分がこのようなソフト面なので ここが足らない、気配りがないと

思われればガイド失格の烙印は間違いなく押されるだろう。

逆に期待していなかったが、喜ばれるような機転があれば そのガイドはできるガイド

と見做されるだろう。


尾籠な話になるかもしれないが

よく神道の話をだすとき、「日本には八百万の神がいます。」・・・八百万はeight million deities

といっている。そのなかには海の神、山の神 云々といったあとトイレの神様もいる。というと

驚かれる。一神教で神は唯一無二(この場合ではGodという)なので違和感があるのだろう。

There are over eight million deities in Japan. And some of them are the deity of the mountain,

the deity of the ocean, etc. Even the deity of the restroom exsists.


お客様を歩かせる時間だとか、エレベーターまたはエスカレーターの有無など

些細などうでもよいようだけど我慢させるとストレスになり不平不満につながりやすい。


震災の影響でどっかと仕事がないこの時期は

趣味と実益を兼ねて下見三昧ができる格好のチャンス。

利用しない手はない、休みはデジカメ持ってど定番めぐりをしよう。






ホスピタリティ

2011-05-22 03:14:06 | 旅行


満足って何なのだろう?

対価を払った分に見合うだけの「得るもの」がなければ

意味がないものになるとおもうのだろうか。

従来のようなココロからのもてなしが通用しなくなってきた気がする。


例えばこんな状況に出くわした。

新大阪から東京へ向かう新幹線に中国人旅行客3人が乗ってきた。

彼女たちは大きなキャリーケースをそれぞれ車内に持ってきて狭そうに三列席に

座っている。

京都で彼女たちの前席にひとりの女性が座った。

「座席を少し倒させていただいてもいいですか。」と丁寧に頼んでいた。

ところがこの中国人3人組はダメだという。

理由はこのスペースは私たちの代金に含まれているからと言っていた。

N700系の普通車はリクライニングを全くしていない状態は少し前傾なので

2時間強を過ごすにはかなり無理がある姿勢である。

京都から乗った女性は車掌に頼んで別の空席があるかどうか訊いていた。

残念ながら指定席は満席だったので

車掌は中国人3人組に大きなキャリーケースはドア前におくようにお願いしていた。

またまた、彼女たちは拒否。理由は誰かが盗むかも知れないから。

そこで近くにいた乗客が3人組が降りる予定の新横浜までドアは開かないから

問題ないと言っていたが、それでも無理で三人組と前席女性との間は

ちょっとした険悪ムードになっていた。

3人組は前席の背もたれを思いっきり叩いてみたり、トイレから戻るたびに

睨みつけるなど エスカレートしていくようだった。

しばらくは 名古屋までは車内は3人組の大声と高笑いが響くだけだった。

そして 名古屋で判明したこと。

それは3人組は自由席の切符で指定に座っていたということ。

検札がきてもその場にいないもう一人が持っているといい続けていたから

怪しまなかったのだろう。

名古屋で車掌から自由席移動と指定席料金を請求されて凄い剣幕で反論していたようではあるが、

車掌室に連れて行かれたのでその後はどうなったのかはわからない。


みんなのために我慢すること、集団でのマナーといったものは希薄になってきている気がする。

豊かさの代償か、ゆとり教育の弊害かどうかは知らないが

お金を払ったものが偉いという考えが浸透しているのかもしれない。

でも、裁量がないというか狭い価値観である。

この中国人3人組にとっては日本に来るには一生に一度の大イベントだったのかも知れない。

「せっかく来たのだから楽しく笑って過ごしたほうがいいのに。」

生で見た、触れたものの印象は絶大だから

さきの中国人のイメージが金太郎飴的に画一化していくのではないかと不安になる。

この3人を見ていて反面教師にしなくてはと反省もした。




東京ディズニーリゾート

2011-05-18 03:40:30 | 日本観光


学生の頃、東京ディズニーランドでアルバイトをしていた。

ここでは従業員全員をキャスト、お客さんはゲストと呼ぶ。

つまり、guest(来賓)にcast(参画者)がこころからのおもてなしを

するという気持ちに由来する。

学生アルバイトもたくさんいたが、全員がプロ意識のある人で

見習った部分も多かった。

各配属先ではもちろん仕事内容も違うし、ゲストの前には一切でないような

裏方もある。しかし、どの人も楽しそうに仕事をしている(ように見える)。

ゴミが落ちていれば拾っていくし、子供がいれば中腰になって 子供目線に合わせて

話をする。

マジックキングダム(夢の王国)にはハード面ばかり目に行きがちだけど

その実キャストの教育、ホスピタリティが行き届いているところが他にはないところではないかと思う。

いつ行っても相当な人がいるはずなのに 夢の王国 では自分が主役になったかのような気分が味わえる。

30、40分並んでもイライラせず並んでいられるのはひょっとしたら 隠れミッキー探しでも

アトラクションの魅力でもなく、非日常へといざなってくれるキャストなのかもしれない。


さて、こんなに魅力満点なTDR、かれこれ7年近く行っていない。

聞けば面白くて何度も参加していた

キャストのキャラが秀逸のシンデレラ城ミステリーツアーも

過去と未来、昨日と今日を行ったり来たりする

ヴィジョナリアムもない。

ミッキーが指揮をする辺りの動物が楽しく踊るショーもない。

さらにディズニーシーにあったブロードウェイのミュージカルショーも終わっていた。

当時はこれらを目当てに1日に3回観たり、楽しんだものがないのはなぜだろう?

ちなみに最近では観たいなと思っていたUSJのWICKEDもやっていないらしい・・・。


働いていた頃、よく「ミッキーの中身は何?」と訊かれた。

キャストはみな「ミッキーはミッキー。きぐるみなんかではない。」と言っていたし、思っていたようだ。

バックヤードでときどき見かけるミッキーもキャストに手を振ってくれるわけで

頭の部分を取り外して「暑い、暑い!!」なんていうことは断じてなかった。

夢はキャストにも与えるのである。


ただ、このディズニーランド。ウォルト・ディズニーが作ったからディズニーランドということを

考えると、たとえば滝沢さんが作ったのなら タキザワランド である。 こわい!

ウォルト・ディズニー生誕100周年経っても 

ディズニーランド、言い方かえれば独裁王国ともいえるではないか?

人間では老けるからアイコンとしてミッキーを創出した。そのミッキーはウォルトの意思を

連綿と受け継いでいる。徳川家康が東照宮を建て、東照大権現として死後も日本の国の長で

あり続けたいと思ったのと同じ発想ではないか。

ミッキーをみるたびにその裏にいるウォルト・ディズニー100歳が背後に

いると思うとこわくなる。










赤っ恥。

2011-05-17 02:45:12 | 英語


大学の授業で最もいやだったことはアウトプットだったように記憶している。

今思い返しても入学して2,3ヶ月は「何も話せない焦り」をいつも感じていた。

海外未経験の純国産組にとってリスニングの重要性は今ほど強調されておらず、

読み、書き、文法のかなり偏った勉強をしていた。

そして、大学へ。その場で英語を使い、意見を求められる授業は魅力的ではあったが、

なにぶん英語で話す癖ができていなかったため えらく苦労した。

しかも入ったクラスはもっとまずかった。選抜テストの結果が思ったよりもよく

帰国子女組に入れられたのだ。

授業初日、教室には何人かが談笑している。どうやらこれまでの生活を聞いているらしかった。

輪に入ろうと思って近づくと、

「どこに行っていたの?」と質問された。

「夏期講習だけなんだけど、代ゼミに通った。」と答えたら 一同「・・・。」数秒の沈黙があった。

その後爆笑。質問は「これまでどこの国に行った経験があるの?」の意味だった。

ここは帰国子女クラス、なるほどなあと思った。ベネズエラにアブダビ、プエルトリコ、コリエンデスなど

「どこですか、そこ?」で育った人ばかりで英語が使えないと生活できない環境だったからだ。

授業はすべて英語だが、当然 彼らはとても流暢に話すし担当講師と議論もできる。

自分はというと議論に入ろうにも 日本語で考えて、適する英語に変換して、出力して言葉に出すまでに

相当時間がかかってしまい、結局 何もいえない人となってしまっていた。

焦燥感と不甲斐なさを感じて なんでもかんでも英語にしてみる練習を行った。

そうこうしているうちにわかったことは 「100%を80%に落としてコアの部分だけを簡単な英語にすればよい。」

「適する表現が思いつかなければ説明的に言えばよい。」ということ。


そういえばJRの電光掲示板には「人身事故による遅延」はdelay accident となっているし

「架線に異物付着」もdelay accidentとなっているではないか。

要は列車が遅延していることを示せればいいのだから なるほどと思ってしまう。

「以心伝心」だってI can understand what you mean without any words.で通じるはず。

日常会話程度は突然にいえるようになった気がする。アウトプットはインプットがなければ

絶対に無理ではあるが、少しの練習でいきなり言えるようになった自分に驚いた。

赤っ恥は上達の始まりなのだ。


罪のないうそ。

2011-05-11 02:13:23 | 英語




罪のないうそ 英語でいうとa white lie.

この罪のないうそになるかどうかはわかないが

昔昔 東京駅丸の内改札までで道を尋ねられた。

彼らはインドからきた7人家族で、

「ホテルメトロポリタンに行きたいのだが、どういけばいいか。」と言っていた。

そう、もちろん英語であるがインド訛りがあって

多少聞き取りづらかったけど

少なくとも自分にはそう聞こえた。

彼らを山の手線のプラットホームまで案内し、

そこでこんなことを言った。

The hotel Metropolitan is located in Ikebukuro.
So, fisrt get on the Yamanote Roop Line to Ikebukuro station.
And then at Ikebukuro station, go to the Metropolitan exit.
Your hotel is just connected to the station. You cannot miss it.
It will take you about 20 minutes or so.
I hope you all will have a lot of fond memories in Tokyo.
See you.

何か腑に落ちなそうな顔をしている ご一行様。

これでも自分は困った人を助けようと思って手伝っている気持ちで

あったから必死だった。

親切心のつもりで山の手線で乗せこみをしてしまったあと、

よいことをした後のちょっとした満足感で山の手線のホームから中央線のホームへと

移動しているとき はたとある看板に目に入った。

それは

ホテルメトロポリタン丸の内 

の看板だった。

「やってもうた!!!」

インド人ご一行の困惑したような顔、東京駅丸の内口付近にいたこと、

話をしたとき夜の9時で「今日はTDRに行ったけど、ホテルのある駅まで直行でよかった。」

というようなことを言っていたことから判断すると

宿泊ホテルはたぶんメトロポリタン丸の内だったのだと思う。

メトロポリタン系ホテルはチェーン展開しているとは全くわからなかった・・・

気がついたとき電車が発車してほんの5,6分だったけど、

行ってしまった列車ではどうすることもできない。

思い込みが招いた悲劇である。

あの方々、その後どうしたのだろう??

本当にどうもすいません。