コロナウィルス感染拡大防止対策、密を避ける、できるだけ在宅ワークで・・・のもと
この1年余りで生活環境は大きく様変わりしました。
「機械やデジタル類のことあまり詳しくないので・・・」なんて通らない時代となり、
オンライン上で会議、研修 さらには飲み会までしている有り様。
世の多くの方々の意見は
「この時代の趨勢に自分が変わらないと。」 とか
「出張などなくなった分、無駄なものを排して効率が上がってよい。」とか
とかく在宅ワークは絶賛の声をよく耳にします。
だけど、どうしても腑に落ちないのです。「本当にそうなのだろうか??」と。
同じ釜の飯を食うではないけど、同じ場所で、ある程度働きをわかっている同僚や上司と雑談も含めて話合うなかから
これはっていう提案って生まれることが多いような気がします。
そう、一見無駄とおもわれる部分があるからこそ、人となりをよく知ることができるのだし、言いたいことを言いやすい環境にしてくれる作用もあるわけです。
旅行業ならなおさらのことで、zoomでオンラインバーチャルツアーを称賛する声もありますが、それでもやはり対人、面と向かって
同じ時間を共有することで仲間意識や連帯感、もっといえば友愛や友情も芽生えるのかなと思っています。
通訳案内ではクライアントと会う前、「何から話そうか」「予定したスポットの連絡はついているか」の緊張感から始まって、
いざ、現地にて案内しているときはクライアントの希望によって変更の多々あり、笑う場面もあるし、ときにはクレームのような叱責を受けながら、それでもなんとか
一日の業務を終えて、金銭授受の書類や報告書を書きエージェントに連絡報告。
ホスピタリティっていうけれど これは言葉でない部分が大きな割合を占めているんじゃないかな。
だからオンライン上だけで済ませることにしっくりこないのだと思ってます。
おいしそうなものを見ても、美しい風景やたてものを見ても、においも、風も、喧騒も体感できません。これらは醍醐味であるのにです。
思えば2020年は好きなカフェ巡りも、ミュージカル観劇も、温泉旅行も台湾旅行も行けず、
代わりに旅行案内書を見ながら、旅のプランを立てることを繰り返していました。(地味です)
そういえば六波羅珍皇寺にある小野篁が地獄へいくときに使ったと言われる井戸前で
「この井戸の先は冥土に続いているのですね。どのくらいの深さがあるのでしょうかねえ。」となんとなく友人と話していたら
「におくまんど」と。こういう返事が来ると思わなかったので面白くなりました。
春はあけぼの
ようよう白くなりゆく山際
少しあかりて・・・
清少納言の枕草子の冒頭 結構有名
これにちなんでの出来事。
ある時、以前お世話したことのある
カナダからの夫婦をアテンドのために成田空港で
スタンバイ中、大学の頃の友人と成田空港でばったり会った。
しばらく話をし、昼御飯たべようということになり
『春はあげものって言うしさ、唐揚げなんかどう?』
って聞いたら、
『ようよう太くなりゆく腹際になるから遠慮しておくわ。』
と返され、二人でばか笑いしていた。
その様子をこのカナダ人夫婦がみており
『何がそんなにおもしろいの?』と聞かれた。
まだミーティングタイムまで2時間あり、突然声かけられて焦った。なんでも飛行機を一便前のものに振替えて
成田空港内でショッピングをしていたら偶然聞き覚えのある笑い声を聞き来たそうな。
でもこのやり取り、英語で説明するのはほぼ不可能
かといって冗談が面白くて・・・ではつまらないし。
説明調になると『あけぼの』と『あげもの』や『山際』と『腹際』の韻を踏んでいる感がでなくなるし。
難しいですね。
日曜日のある日のこと。
その日もまた羽田空港へ行こうと中央線に乗っていた。
するとドア付近に3人の中年女性たちが何やらごそごそと話をしていた。
明らかに困った様子。
何か手伝えることはないかと申し出ようかと思っていたら
その女性たちのうちの一人の携帯電話がなった。
「急用だから仕方がないわね。」と周りに聞こえるような独り言を言い、
さらに電話で続けていた。電話のトーンはいらだち始めたのかだんだんと大きくなり
ついに付近の乗客も注目するようになる。
キーワードは「学芸大学」。
集合場所の学芸大学をこの3人の女性たちは小金井にある学芸大学へ、そして
電話先の女性は東横線の学芸大学へ行ってしまった小金井にある学芸大学
の部分を失念したため誤解が生じて会えずじまいなのだった。
そこで新たな集合場所として新宿の高島屋8Fのレストランとしていたが、
ここでも問題が発生。
それはこの中年女性たちはみな学芸大学は小田急線沿線と思っているから。
電話口で「終点まで乗って、そこを降りた駅ビルの8Fにレストランはある。」
東横線の学芸大学駅から乗っていき、ターミナル駅といえば渋谷である。
ただし、今は副都心線直通がほとんどなので終点まで乗っていけば
たとえば清瀬、飯能、和光市、川越市などととんでもないところへ行ってしまうだろうに。
渋谷で降りたとしても会えない、気が付いて新宿三丁目駅なら付近が高島屋ではあるけど。
他人事ではあったのだけど、声をかけさせてもらいました。
そして改たな事実が。
それは彼女たちが持っていたはがきでわかったことで
じつは双方とも 集合場所を間違えていて本来は「東京芸術大学」略して東京芸大
と東京学芸大を勘違いしていたのでした。
この方たちは笑って帰っていきましたけど。
勘違いに関して一つ思い出ししたことがある。
昔、就職試験の会場地を「東急観光本社」だったのい「東急電鉄本社」を間違えたことがある。
それはおそらくだれもが「東急本社」って呼んでいたから。あのときの冷や汗は忘れられません。
5月に大阪、京都に行った。
京都は前から行ってみたかった詩仙堂と雲母漬け(きららづけ)を買う、それからおいしいものを食べ、カフェに入ってのんびりしながら米原万里の「不実な美女か貞淑な醜女か」を読む。
初日、全て順調。大満足だった。
問題は二日目、大阪でお客として観光した。
ウォーキングツアーに参加してみた。このツアーは
外国人も含まれていて解説はみな英語。
初串かつに舌鼓をうち、大阪ステーションシティーの新と
じゃんじゃん横丁という旧を感じながら、そして
外国人の方(英会話学校の講師)とどうしたら英語の力はつくのだろう談義をして楽しく過ごせた。
その後、昼食は鶴橋(韓国人街)の焼肉を食べようということになった。せっかくだからディープな大阪探検とばかりに
どこかの雑居ビルの地下にある店にした。
そこで悲劇は起こった。集合写真などをとっているうちに
携帯電話をテーブルに置き忘れていたらしい。
そのことに気がついたのは帰りの新幹線の中。
戻れないし(名古屋をすぎていたので、次は新横浜まで
止まらない。)、問題は置き忘れはあの店だとしても
その店名も、電話も知らない。
また連れのうちだれも知らなかった。
翌日、記憶を遡りながらgoogle mapをひらく。
よく見てみると入ろうと思い迷っていたもう一軒の店があった。この店の近くだったことは覚えていた。
付近の韓国料理屋は3件だった。
その三件のうち一件だけ「携帯の忘れ物がある」という。
胸を撫で下ろしたのだが、問題が浮上。
この電話の相手は日本語があまり通じなかった。
「携帯の忘れ物がある」部分は日本語で通じた、奇跡的。
着払いで配送の旨を英語で説明してみたが分かってもらえず、
困り果てて知り合いの韓国人通訳案内士にお願いした。
残念ながらこれもダメだった。できないと言われたそうだ。
仕方なく、仕事の空く6日後
取りにいくハメになった。
当日、お店の開店前でないと迷惑かと思い
朝4時起きで大阪に向かった。
10時前現地到着。
携帯電話はあるにはあったのだが・・・
それは別の人のものだった。(驚)
新幹線まで手配して空振り状態なんて。
そして夜 家につくと小包があった。
その中には置き忘れた携帯が入っていた。
送付元はなんと知り合いの韓国人ガイドからだった。
運の悪いことに5月の自分が行った日には
2台の携帯の忘れ物があったのだった。
自分のものが送られたのは知り合いの韓国人ガイドがたまたま現地近くを通るツアーだったから取りに行ってくれた。
「じゃあ、一言話してくれればいいのに。」
よく考えてみれば
彼には携帯と家の住所以外の連絡先を教えていなかった。
忘れたと気がついてすぐに携帯を止めていたので
連絡のつけようがなかったという。
たかが携帯、されど携帯。携帯に振り回された一週間となった。