心が満ちる山歩き

美しい自然と、山に登れる健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山・街歩き・温泉・クラシック音楽‥‥

百名山の麓をたずねて (4)筑波山④ ヒガンバナと桜と筑波山・矢中の杜

2020年10月19日 | 百名山の麓をたずねて


 筑波鉄道の廃線跡、”つくばりんりんロード”から筑波山を撮影しました。10月初めなのに桜が咲いており、そこに秋の花ヒガンバナも加えた写真が撮れました。


 1987年に廃止された筑波鉄道の筑波駅は、現在「筑波山口」バスターミナルになっています。
 筑波駅から1駅南下した、旧常陸北条駅からしばらく歩くと矢中の杜です。もとは北条出身の実業家、矢中龍次郎氏(1878年~1965年)の邸宅でした。
 石造りの階段を上がると玄関です。落ち着いた雰囲気の中に、古風な空気と新しい空気の両方がありました。
 
 入るとさっそくピアノが置いてあります。カワイ製の小さなピアノで、「ミニピアノ No.101モデル」だそうです。「昭和20年に空襲で工場を焼失した河合楽器製作所が、昭和23年に資材が不足する中ピアノの生産を再開した。」「月産100台で国内ばかりか海外まで輸出していたが、一年くらいで生産を終了したと言う事である。」と説明書きがしてあります。
 前に、「トイピアノ」のコンサートを聴いたことがあります。鍵盤の数はちょうど30でした。「No.101モデル」を数えてみると、51鍵ありました。現代的なピアノの88鍵よりは少ないですが、トイピアノよりは多いです。高さも、普通のアップライトピアノよりは低いですが、トイピアノよりは高かったです。
 邸宅は1938年から15年をかけて建築されました。戦争の時期を乗り越えて完成した事実に、何ともいえない重みがあります。小さな古いピアノが残っていることにも、やはり重みがあります。
 書斎は、畳の敷かれた部屋にテーブルと椅子が置かれた、和洋折衷でした。中庭は草木が生い茂っていますが、建築された当時は見通しがよく筑波山が大きく見え、借景としていたそうです。いかにも優雅です。
 別館は、神殿のように立派な屋根を見せていました。
 修理からかえってきたばかりという、振り子時計の鐘の音が響きます。


 別館の1階は14畳の食堂で、お客様をもてなすための場所でした。やはり、畳とテーブルの折衷スタイルです。
 「小壁の部分には、当時の国立公園12箇所名勝を描いた水墨画(北川金鱗作)が四周に巡らされ、西面には鮮やかな日本画の板戸絵(南部春邦作)を多数入れるなど、豪華な設えが印象的です。
 北海道から九州まで、日本の名勝が描かれた水墨画が、文字通り部屋に「巡らされ」ていました。嬉しいことに、題材は多くが山岳から選ばれています。白黒なのに、どの絵も山そのものを実感できるものでした。上高地は、奥に穂高連峰がそびえる本物の風景が現われるようです。大山では長い稜線が忠実に描かれ、阿蘇山では火口の湯だまりの様子が写真と同じくらいに伝わってきました。
 板戸絵は花が鮮やかで、水墨画と全く対照的です。それが水墨画と同じ部屋にあります。絵だけが素晴らしいのではなく、この部屋にあることが一番ふさわしいと思わせます。玄関の小さなピアノも同じです。
 2階にも、とても鮮やかな日本画が飾られていました。中でも、弧を描いて流れる川の群青色の水面は、こんなに豪華な絵を見たことがないと思ったくらいでした。

 「折衷」を辞書でひくと、「両方の極端なところをすててほどよいところをとること。」(『三省堂国語辞典』(第7版)(三省堂))とありました。
 矢中の杜の部屋は、和洋折衷が単に和と洋の両方を置くという意味でなく、「ほどよいところをとること」であることが伝わってくる部屋でした。和と洋・本館と別館・水墨画と板戸絵が、見事に同居していました。
 唯一無二の名建築を見て、初めて感じたことばかりでした。


 別館2階に置かれていた、東芝製の電気ストーブです。昭和29年4月発行のカタログで、11,500円とのことです。当時は、とても高価なものだったそうです。


 (写真:2020年10月上旬) 



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