(1のつづき)
1985年のライヴが収録されたEMIのCD(TOCE55048/49)は、チェリビダッケのCDの中では一番聴いた回数が多いものです。
いつ出たのかわからないほど、自然な音が随所に聴かれます。山を流れる沢の出発点がどこだか分からないのと同じです。それまで水の流れている音がしていたのが、しなくなる地点が必ずあるはずなのに、しかしその地点は決してはっきりつかめないように。
第一楽章の(3:43)など、欠片ほどの粗さもありません。
また、(7:50)~場面が変わるところで、これほど静けさを感じる演奏は他にないと思いました。
最後のクライマックスも最上の丁寧さです。最後のティンパニー、リズムをためるのが、こうしてほしかった!と思わせます。ブラームスの第4番が好きな人なら、皆同じように感じると思うのですが、どうでしょうか?
第二楽章では、例えば(3:05)のように霧の中から現れるような音が独特です。しかしテンポが遅いと感じる人もいるでしょう。
第三楽章は、最初から音の出るのが柔らかいのに驚きます。(3:56)の合奏など、少しも濁った響きが出ていません。
第四楽章の(3:09)、これ以上薄くできないと思うほど繊細なヴァイオリンの響き。音楽そのものがこの響きを求めているのだと思います。(7:50)では指揮者の叱咤激励(?)も聞こえてきます。
(8:29)~音の迫力は十分ながら、やがてホールの壁に吸い込まれて消えていくような柔らかさも併せ持っています。(8:42)一連の流れの中で、金管楽器を最後まで強奏させないところにチェリビダッケらしさが出ています。
最後は、指揮者もオーケストラも渾身の大合奏で締めくくられます。
曲の最初から最後まで、絹織物を幾重にも重ねたような音が続出しています。それでいて、音楽そのものの持つ情熱を目いっぱい感じることができるのです。
「たるんで、眠っている心にむかって語るには、雷をとどろかせ稲妻をはためかせてかからなければならない。
しかし、美の音はもの静かに語る。 ~」
(ニーチェ・氷上英廣訳「ツァラトゥストラはこう言った」(岩波文庫))
もう一枚、ALTUSのCD(ALT141/2)は、1986年10月に東京文化会館で行われた演奏会の録音です。決して音響的に豊かな会場とは言えないと思いますが、大変よい録音です。EMIの1年後であり、大きな違いはないと感じます。すなわち、チェリビダッケの緻密な要求に、オーケストラは全力を集中させて応えているということです。違いがあるとすれば、’85年の演奏よりも熱さ、壮絶さがより感じられるところです。指揮者、オーケストラ、そして聴衆、ホールにいる全員が感動を共有しているのが伝わると言っても、過言ではありません。
およそ20年前、こんなに素晴らしい演奏が我が国で繰り広げられていたのです。
ブラームスの第4番もさることながら、アンコールの2曲にも感動しました。テンポが自在に動く「ハンガリー舞曲第一番」。
そして「ピチカート・ポルカ」。まるで神々が足跡を残すようなピッチカートのリズムに、(1:33)で訪れる静寂。
全曲を通し、表現の振幅を意識して大きくとっているようです。
やがて天上から陽光が降り注ぐような加速を見せ、(2:34)のエンディング。
すべての音の動きは、この高みに登りつめるためのものだったのです。
聴衆にこれほどの集中力を要求するアンコールが、かつてあったでしょうか!