「~ ほとんどの建築において、未完成の姿の方がすばらしい。今日われわれの周辺でもさまざまのプロジェクトが進められているが、工事中のイメージには何か無条件の迫力があり、夢が生きている。
考えてみれば、芸術はすべて未完だ。社会的約束に従って、芸術家は一応完成という形をとる。だがそれはある意味で一種の妥協点ではないか。 ~」
(『美の世界旅行』岡本太郎(新潮文庫))
シューベルトの未完成交響曲は、第一楽章と第二楽章しかありません。初演されたのは1865年、大作曲家が世を去って30年以上たってからのことでした。
有名な「未完成」以外にも、途中までしか書かれていない曲がシューベルトには多くあります。例えばピアノソナタ第15番「レリーク」も、やはり第二楽章までしか遺されていませんが、名作です。
シューベルトは「一種の妥協点」を見つけるのが苦手だったと思います。それでも、未完成交響曲の終結は意図された終結でないにも関わらず、何の妥協もなく完成されたように聴こえます。
◆ベーム~ウィーン・フィル(グラモフォン POCG-2303~4)
1977年6月、オーストリアのホーエンエムスにおけるライヴ録音です。この4年後に他界することとなる、ベーム最晩年の傑作のひとつです。
第一楽章は、冒頭のチェロとコントラバスから深い音色で、弱音ですが最弱音まではいっていません。緊迫感のある演奏とは別のよさがあります。
(1:16)のように芯の強い合奏も数多く現れますが、曲全体に壮絶とした空気がしないのは、前へ前へと進む演奏ではなく、常に後ろを振り返る様子が伝わってくるからだと思います。
(4:17)~ テンポがさらにぐっと落ちるところが素晴らしいです。82歳の人生を振り返るように、指揮棒を振っているのに違いありません。
ベームと全く同じ人生を歩んできた音楽家はいないし、振り返るものがたくさんなければこのような演奏は生まれないでしょう。
第二楽章は何か偉大なものを仰ぎ見るような雰囲気から始まります。建築に例えるなら、今創られたばかりの作品ではなく、何十年も何百年もかけて完成された作品の姿です。曲名は「未完成」でも、生涯の完成が近づきつつあるベーム自身の哀感が感動的です。そして、ウィーン・フィルの奏者が指揮者に共感していることまで伝わってきます。
拍手は入っていませんでした。いつもは、ライヴ録音の拍手はCDに入っていてもいなくてもいいと思いますが、この演奏に限っては入っていたらよかったなと思います。聴衆の共感も聞いてみたかったからです。