福島原発事故から まもなく2年。写真は、今日の我が家から見た北アルプスです。鹿島槍、爺が岳、五竜岳・・
春を思わせる青空をバックにホントに綺麗です。福島で生活する方々も、きっと同じような美しい景色の中で暮されていると思います。しかし、福島で、この美しい景色を、晴れ晴れとした気持ちで見ることが出来る人は何人いるのでしょうか。
放射能という見えない汚染が、多くの福島の人々のこころに、様々な不安を植え付けたままなのではないのでしょうか。
原子爆弾が人類と共存できないのと同様に原発も人類と共存できない、と多くの人々は思っています。ひとたび、爆発、暴走すると人類そのものを滅亡に導く、と言うのは、誰も否定できない“真実”だと思います。
しかし、そこまで考えなくても・・・と思っている間に、また、スリーマイルのような事故は日本には起らない、
チェルノブイリのような事故は日本では起こらない・・・と思っている間に、福島原発は爆発、メルトダウンしました。
人間は、原発を、その核廃棄物も含めて管理できません。そのような技術は今も、将来も持ち合わすことが出来ないと思います。
今、国も行政もマスコミも御用学者も“放射能汚染という事実、”健康被害と言う事実“をとにかく、隠そう隠そうとやっきになっている感があります。【臭いものにはふたをしろ】を地で行っている、ように思います。
普段の生活の中で、大新聞やテレビ、週刊誌を見ていても、その、国や行政の姿はわかりようがありません。
放射能被曝の事実一つとっても、被災者の立場から報道されないのですから。
隠そうとする人たち、つまり、原発を擁護する人たちは、言います。
「そうした事実をオープンにすれば、風評被害が広がる」「福島県人が差別される」。しかし、このやり方こそ差別を認めるやり方ではないか、と私は思います。どの地域がどのくらい汚染されているのか、被曝された人々の健康被害はどうなのか、どのような、医療的な支援が必要なのか、などの真実を継続的に明らかにし、私たち国民全体が受け止めることこそ“絆”を結ぶ、第一歩ではないか、と思います。
私も、フクシマの方々とどうつながっていくのか、自問してきました。続けて、語っていきたいと思います