草木染めニットALUN  手しごと日記

今日は何を作ってるかな?

レメディ物語り2

2024-10-08 16:54:42 | ホメオパシー

タイトル「昌也をめぐる3人の女性たち」

 

<出演>

 

Pulsatilla プルサティーラ 

セイヨウオキナグサ

27歳 女性 大手玩具メーカー 経理部 風見優子

 

Lachesis ラケシス

ブッシュマスター 

毒蛇の毒

29歳 女性  大手玩具メーカー 企画部 天野瑠美

 

Staphisagria スタフィサグリア

ヒエン草の種子

29歳 女性 大手玩具メーカー 営業部大阪支店勤務 高見沢貴子(キコ)

 

レメディ不明 

29歳 男性 大手玩具メーカー 営業部 大木昌也

 

 

 

第1話 Pulsatilla 風見優子

瑠美、貴子、昌也は同期の親友。大阪支店に転勤になった貴子が久しぶりに東京本社に出張になったので同期で飲み会を・・ということになったが、瑠美は担当の企画案件が大詰めで参加できず、他の何人かも都合がつかず、貴子と昌也が二人、サシで飲んでいる。

話題に出ている優子は昌也が今現在付き合っている彼女。昌也は優子と付き合う前は一時、瑠美と付き合っていたが、瑠美をふって優子のほうになびいた過去がある。

 

「カンパ〜イ!」

「久しぶり〜。」

とお互い差し障りのない近況報告して、二人とも程よく酔いが回った頃。

 

昌也:「俺さ〜。実は優子と別れたいんだよね〜。」

貴子:「嘘〜!あんなラブラブだったじゃない。まだ結婚しないのが不思議って思ってた。」

昌也:「優子が結婚したがってるのは、前からわかってるんだけど、俺が踏み切れないんだよね。かわいいし、守ってあげたいと思って付き合ったんだけど、最近なんだか重いんだよ。真綿で首を絞められている感じでさ。」

貴子:「何それ!俺が一生守ってあげなきゃ、って、瑠美を振ったんでしょ。」

昌也:「それはそうだけどさ・・あの頃は、心底思ってたんだよ。この子を守れるのは俺しかいないって。

あいつが入社して間もない頃にさ、給湯室の隅で泣いてるのを見かけちゃってさ。ちょうどランチに行こうと思ったんで、誘ったわけよ。

先輩として何かしてやんないとな、って思って。

外に出たら、ニコニコして、素敵なお店ですね〜とか言ってたから、もう大丈夫だと思ってたんだけど、

なんかあったらなんでも聞くよ!って言ったら、「私が悪いんです。私嫌われてるみたいで・・」って急にまた泣き出して。聞くとほら経理部にお局が何人もいるじゃん。あの人たち敵に回しちゃって、色々意地悪されてるらしくて。で、それからも何かと気にかけてやったわけ、そしたら、大木先輩だけが頼りですって泣かれちゃって・・・。

ちょくちょく、飲みに行ったりしてたら、噂が瑠美の耳に入っちゃって激怒されてさ、「私とその人どっちを選ぶの!?」ってなっちゃったわけ。

それでつい、お前は一人でも大丈夫、でもあいつには俺が必要なんだ。って言ってしまったわけよ。

俺も、実は後悔してたんだ。でも優子は落ち込んでる俺に、私のせいでごめんなさいって甲斐甲斐しく手料理を運んだりしてさ、だんだん本当に一生守ってあげようって気持ちになって来ちゃったんだよね。

怒っている瑠美は本当に怖かったし。」

貴子:「それがどうして嫌になっちゃったわけ?」

昌也:「優子は従順で、なんでも俺に気を遣って優しいんだ。でも自分がなさすぎる。まるで俺の人生が私の人生だ、みたいな事を言うんだ。例えば、「昌也がいなくなったら、私死んじゃう」みたいな事を年中言っている。最初は嬉しかったんだよ、愛情表現だと思って。でもこいつほんとに別れたらどうなるかわかんないなと思えてきたら、その愛情が重いんだよ。

俺抜きで、自分がこれをやりたいとか、これをやったら楽しいとか言う事を持って欲しいんだ。

そんな時、新規のプロジェクトで瑠美に久しぶりに会った。彼女も企画部のメンバーで、数ヶ月同じチームで働いた。

彼女、すごく輝いていて、俺も最初は気まずかったんだけど、全然気にしてないような素振りを見せてくれて、やっぱいいやつだな〜って。

あっ、別になんもないんだよ。そう思っただけ。でも優子は瑠美と仕事をしてるって知って、すごく嫉妬して、なんだかすごく情緒不安定なんだ。

自己憐憫っていうの、なんもないって言ってるのに、なんて私はかわいそうなの!ってすっかり被害者気分なんだよ。普段から病気がちなんだけど、わけのわからない病気になってる。」

貴子:「何?わけのわからない病気って?」

昌也:「不定愁訴っていうの?年中どっか悪いって言ってる。風邪ばかり引いてて、食べたものが悪くて、胃がいたいとか下痢したとかすぐ言うし、生理痛がひどくて起きられないこともある。

顔がほってって熱いと言ってるかと思うと寒気があるっていうし。寒いっていうから窓しめて暖かくすると、息が詰まりそうだから窓開けてっていう。それで、じゃあ明日病院に一緒に行こうっていうと、翌日には治っちゃうんだ。」

貴子:「それは昌也も大変ね。ふふっ・・。

でもそんなの、女子はみんなわかってたよ。お局がいじめたのも、本当は彼女があんまり仕事のミスが多くて、しかもそれを人のせいにするから嫌ってたんだよ。「何もわからないんです〜」って態度で上司に媚びるから、結局責められるのはお局の方で「ちゃんと教育しないとダメじゃないか」とか言われちゃうから、嫌われて当然。

女子から見たら、私かわいそうなんで〜っていう、自己憐憫が見え見えで、あー昌也引っかかっちまったなーって誰もが思っていました。(笑)」

昌也:「そんな〜。それじゃ俺はどうしたらいいの〜?」

貴子:「自業自得だね。瑠美だってね。相当のショックだったんだよ。負けず嫌いだから、泣き言言ったりしなかったけど、当時は調子悪そうで、痩せちゃって見る影なかった。でもどっかで吹っ切ったんだろうね。仕事バリバリ打ち込んで、逆に今の瑠美の地位があるのは、昌也と破局したおかげかもね。

そんなに好きなら、優子と別れてもう一度瑠美に告白してみたら?断られると思うけど・・」

昌也:「俺にはそんな勇気はない。優子と別れるのも大変そうだし。今、瑠美がすごく気になってるけど、瑠美の前に言って、あの目で見つめられると、俺はフリーズして何も言えなくなっちゃうんだ。」

貴子:「もう知らんわ!優子を幸せにしてやればいいじゃん。私そろそろ帰るよ。明日会議だし。」

昌也:「そっか。また出てきたら連絡しろよ。今度は俺が同期全員集めるから。」

貴子:「そろそろみんな、それぞれの道を・・じゃないのかな?でも今日は昌也と二人で話せてよかったよ。」

昌也:「俺もだ。貴子だとなんだか人に言えないような事話せちゃうな・・。副支店長候補って噂を聞いてるぞ。頑張ってな。」

貴子:「まだまだ、だよ。ほんま大阪弁もろくに話せませんわ〜!」

昌也:「確かに貴子に大阪弁は似合わないな。仕事ばっかりじゃなく、早くいい人見つけろよ〜」

貴子:「大きなお世話!」(笑笑)

 

第2話 Lachesis 天野瑠美

 

入社5年目の天野瑠美は企画部の女性社員の憧れの的だ。イキイキと働く姿。途切れる事ない発想力。男性社員顔負けの弁が立つ説得力。実際のリーダーは中堅どころの男性部長だけれど、実質企画部を動かしているリーダーは、彼女である。

ただ他の部署の女性社員や企画部の一部の男性社員は、彼女の高慢な態度を、極端に嫌うものもいる。

 

風見優子もその一人だった。

 

優子の回想

一度だけ友人の誘いで合コンに参加した時に、天野瑠美と初めて会った。

瑠美は、常に話の中心、大きな声で男性の注目を集め、変わるがわる話題を提供し皆を笑わせていた。

私には皆が笑っているジョークがわからず、何やら経理の仕事は無味乾燥でつまらないでしょう、と皮肉めいた事を言われたのが引っかかって、笑いの輪に入れなかった。瑠美の独壇場でしらけきっていると、隣に座った男性も、私と同じ思いだったらしく、私が意味ありげに微笑むと、向こうも含み笑いをして、小声で一緒に出ましょうか、と言って来たので、二人でこっそり抜け出したのを思い出す。

それからしばらくして、私が好きになった人の彼女が天野瑠美と知った時は驚いたが、罪悪感は湧いてこなかった。彼がいるのに合コンに出るってなんなんだろう。私なら絶対にそんな事しない。あの人よりは私の方がずっと彼を幸せにできると思う。どんなに素晴らしい仕事をするよりも、一人の男性につくして愛し続ける方がずっと価値があると思う。

 最近になって、昌也は天野瑠美とプロジェクトで一緒になった。昌也をそれをわざとらしく私に報告した。何にもないのを証明したいように。あっちも俺も昔のことなんかすっかり忘れてるからと言いつつ、私の言うことに上の空の時がある。

私には昌也の気持ちが、少し傾いているのがわかってる。

昌也を失ったらどうしよう。私はもう生きていられない。それを思うとハラハラと涙が出て止まらなくなる。そんな事なんとしても阻止しなくては。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

深夜。会社の企画室に一人パソコンに向かい仕事に熱中していると思われる 天野瑠美。

会社員とは思えぬ、首元が大きく開いてゆったりとしたパンツスーツを着ている。守衛さんが廊下を歩く音に、ビクッとして振り向く。

 

瑠美の回想

あーもうこんな時間か、終電がなくなってしまう。いつの間にか考え事に耽ってしまった。

 今日は大阪支社勤務の高見沢貴子が東京に出て来たので、久々に同期で飲み会をやると誘いがあったが、急ぎの仕事があってどうしても出られないと断った。

忙しいのは本当でもあるが、本音は元彼の大木昌也に会いたくなかった。昌也とは先だって同じプロジェクトを担当することになって、別れてから初めて会話をした。

もう何事もなかったような対応を見せたけど、それは悔しさが残っていて弱みを見せたくなかったからで、私の中の棘が完全に抜けた訳ではない。

昔のようになんの屈託もなく、同期の仲間として会えるわけもない。

 

昌也とは、新入社員の研修合宿で親しくなった。あってすぐに気が合うと感じ、肉体関係をもつまでにさして時間は掛からなかった。情熱的な恋愛が始まり、昌也は最高のSEXパートナーでもあった。

憧れの企画部にも配属され、あの頃は最高に毎日が充実していた。

 付き合い初めて3年になろうとする時、昌也が浮気をしていると耳に入った。問い詰めると、2年後輩の経理部 風見優子と頻繁に会っているという。

聞き覚えがある名前だった。しばらく前に数合わせで出席を頼まれた合コンで一緒になった娘(こ)だ、男に媚びてしなだれるような仕草や、自分の意見を言うこともなく、意味なく微笑む様子に、虫唾が走るように嫌いなタイプと思っていたら、途中で男を誘惑したのか二人バックれた。なるほど男好きするタイプだなと思っていたら、私の昌也を餌食にするとはなんて事。

腹ワタが煮え繰り返るような思いだった。

昌也の「お前は一人で生きられる。俺は一生あいつを守りたいんだ。」という言葉に愕然とした。何をたぶらかされているんだ!と呆れたが、私を捨ててあんな小娘を取るなんて、もうどうでもいい。おっしゃる通り一人で生きます。と意地になった。

 そうやって、別れが訪れて一人になると、私は嫉妬の炎にかられて身動きできなくなった。二人を呪い殺したいとさえ思った。

二人が私の知らないところで何をしていたのか、いつから裏切られていたのか。疑念を持ちありとあらえる想像が湧き上がってくる。ずっと前から二人は肉体関係があったのではないだろうか。二人で私をせせら笑っていたんじゃないだろうか。昌也が言った言葉の数々はみんな嘘で、私にの肉体を求めただけだったのではないのか。絶対許せないと思った。

 

毎日毎日、呪っていても二人は死なず、弱って来たのは私の方だった。

 まずは生理が不順になり、なかなかやってこなくなった。おりしも私が苦手な夏に差し掛かり、一気に具合が悪くなった。左側の扁桃腺が腫れて熱が出たのが皮切りで、顔が火照って、動悸、息切れが頻繁に起こるようになった。脈も不規則になっているような気がした。特に朝起きた後の倦怠感がひどく、会社に行くのがひどく億劫になった。

不安になり、循環器科を受診すると、血圧は高いが、不整脈はない、心臓も異常がないので、ストレスと過労による一過性のものだろうと言われた。

 診断が出たことで、会社を休みやすくなったので、溜まった有給を利用して、長期の夏休みをとった。長野にある癒しのプログラムのある保養所で2週間療養した。

ひんやりした山の空気、新鮮な野菜。冷たい山の湧水が私の心と体を癒して行った。何日か経って、何ヶ月ぶりかの生理が来た。大量の経血が出る重い生理で2日ほど寝込んだが、それが過ぎるとみるみる回復していった。

この滞在で私は何かが吹っ切れ、生まれ変わったような気持ちになった。

 それからは、嫉妬のエネルギーを全て仕事とスキルアップに充てた。企画に全力を注ぎ、そのほかにも英会話を習いTOEICの資格を取得した。

異文化の人との交流が必要と、さまざまなコミュニティをSNSで見つけては参加して、人脈を増やした。

人生を充実させるには、体力も必要と、ジムに入会して、ヨガや水泳を日課にした。

芸術性も必要だと、合唱のサークルに入り、美術館鑑賞も趣味にした。

 そうやって目まぐるしく動くことで、嫉妬の炎も鎮火したように見えていたのに、久しぶりに昌也に会ってしまうと、心の奥に疼くものがあるのを否定することは出来なかった。昌也への未練なのか、嫉妬の火種がまだ消えていないのか。

もしかしたら昌也がどうとかでなく、私は男の愛を求めているのかもしれない。

 そんな煮え切らない思いを断ち切るために、海外進出のために立ち上がるニューヨーク支社の配属を希望してみようと思う。前から悩んでいたが、語学力を活かせるのも魅力だし、私ならまだまだやれる。こんなところでぐずぐずしてはいられない。

 

第3話 Staphisagria 高見沢貴子(キコ)

 

 東京出張から大阪の一人暮らしの自宅に戻った貴子は、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ソファーにぐったり沈み込んだ。仕事の疲れ以上にメンタルをやられていた。

大阪人のあけすけな気質に慣れず、早く東京に戻りたいと思っていたが、東京本社に戻るには、自分自身がまだ、きついのだと言う事を思い知らされた東京出張だった。

 

 同期の仲間が、久しぶりの飲み会を企画してくれたが、みんなそれぞれに忙しく、当日ドタキャンの人もいて、昌也と二人きりと聞いた時は、自分でも信じられないくらい心がウキウキしてしまった。

お互い営業での苦労話など、久しぶりの昌也との会話は終始弾んで楽しいものだった。昌也は以前のようにフレンドリーでオープンな性格で、ちょっとした女性への気遣いぶりも嬉しくて、自分がまだ昌也に恋心を抱いているんだと自覚するよりほかはなかった。

 酔いも程よく回った頃、昌也から風見優子の話が出て、そうか、もう入社当時の私たちでは無いのだと、現実に引き戻された。

昌也は倦怠期なのか優子と別れたい、元カノの瑠美に心を惹かれていると話し始めた。親友の顔をして相談に乗っている私の心の内は複雑で、「ずっとあなたが好きでした。私と付き合ってください」と叫びたい気持ちをグッと飲み込んでいた。

 

 昌也には初めて会った入社式の日から惹かれるものがあった。その後の新入社員の研修合宿でますます好きになり、希望していた企画部に配属されず営業部になった事も、昌也と一緒の部だったことで、この先がバラ色に感じられた。

 同じ部で同じ苦労を経験することで、昌也との間が急速に縮まったと思っていたのに、ある日昌也から瑠美と付き合っていることを聞かされた。

ショックだった、私とは友達を超える気持ちはなかったんだ。

瑠美もなんとなく昌也に気があるのは感じていた、でも自分のほうがうんと昌也の近くにいたので、安心していたところがあったのかも。

 あの頃は頻繁に同期会をして、みんなで励ましあっていたのだけれど、女子だけの同期会の席で、瑠美が昌也と付き合い始めたいきさつを、自慢げに話していた。やっぱり瑠美の方が積極的にぐいぐい誘って行ったようだ。

悔しいと思うが、瑠美には自分はかなわないと諦めもある。瑠美は人を惹きつける魅力がある。知的な魅力と、色気の両方を兼ね備えている。どちらも私にはないものだ。

それに私は昔から絶対に自分の気持ちを打ち明けたりできない。それで何度もこういう苦い経験をしているけれど、どうしても変わることはできない。

 入社当時の失恋の気持ちが、まざまざと蘇ってしまった。

私が何も言わなくても、昌也が私の蓋をしている気持ちに気がついて、蓋をこじ開け、ぐいぐいと私を引っ張って別の世界に連れて行ってほしい。そんな夢を描くけど、現実にはそんなことは起こらない。

 

 そんなことを想いながら、すでにワインを1本空けてしまい2本目を探しにいく。この頃お酒とタバコの量が増える一方だ。節制しなければと思うのだけれど、一人で過ごす時間が寂しくてたまらなくなると、ついつい酒量も増えてしまう。

お酒を飲む場所で知り合った男性と一夜限りの関係を持った事も何度かある。けれど大阪に来てから男性でも女性でも親しく付き合う間柄の人はいない。

大阪気質が合わないだけではない。自分はプライドが高くて、心が開けないのはわかっている。誰かと親しくなって侵入されて傷つくのが怖いのだ。だから自分をちょっと高いところに置いて、上から眺めているようなところがある。

そのくせ一人ではいられないくらいの脆さがある。脆さを隠すように私は毎日お酒を飲まずにはいられない。

 

 大阪支社に転勤になったのには思い出したくない訳がある。入社1年目、ある先輩が私の教育係になり、二人チームで営業のイロハを叩き込まれた。

外回りの後のお酒の席も頻繁に付き合わざる得なくて、教育という名の名目で頻繁に二人だけでお酒を飲むことが多くなった。

私はお酒に強いので決して酔い潰れることなどなかったが、ある日事件が起きた。

いつもの酒量なのに意識が朦朧として動けなくなり、記憶が戻った時は、ホテルのベットで事が済んだ後だったのだ。私の抗議に、涼しい顔をして、「だってお前も望んだでしょ。」と言い残して先輩は去って行った。

 

 それからの事は、あまり思い出せない。頭を圧迫されるような頭痛で何日か仕事を休み、夜も眠れず悩んだ後。意を決っして、上司にレイプされたと訴えたのだと思う。微熱が続いて何日も下がらず、それが膀胱炎とわかり長い間治療していたのは覚えている。

当時の係長が女性だったのは不幸中の幸で、親身に話を聞いてくれた。だが所詮会社側の人間で、彼女の意見なのか会社の意見なのか、結論は事を表沙汰にはしないという事だった。性交渉が同意した上でない証拠もないから言い逃れをされるだけ、公表したところで傷つくのはあなただけだ。と説得された。

会社としてもそういう騒動は避けたい方針だった。

そのかわり、大阪支社の副支店長の候補として、栄転の配属をする。店長の経験を積んで東京に戻れば、出世コースに乗れるわよ。と野心ある係長に説得された。

相手になんの咎めがない事に、腹立たしく思ったが、戦う気力もなく、昌也のそばにいるのも心苦しく思っていたので、入社して1年目の春に心に傷を抱えたまま、大阪支社への移動を受け入れた。

大阪支社では、入社2年目なのに理由もなく高いポジションに配属されたことで煙たがられているのはわかっている。なるべく反感を持たれないように、大阪のやり方に従って動いている。心の支えは、いつか瑠美や優子を見下ろす立場になって東京支社に戻る事だ。自分を犠牲にして得たチャンスを私は逃したくない。

 Me tooの運動の報道なのを見ると、自分が権力の側に屈して、今の地位を得た事を、恥ずかしく思ったり、先輩がした行為、男の行為への怒りが湧いてきたりはする。でも自分にはMe tooと公表して世間と戦う事はとても無理だと思う。

嫌な過去は忘れてしまいなさい。と係長が言うように、忘れてしまいたい。でも今日の帰り際、遠くからだが先輩の姿が見えて、心と裏腹に身体の震えが止まらないほど怒りが湧き上がってきた。当の本人はそんなことがあったことなど忘れているだろう。他の女性に同じような事をしているかもしれない。

私だけが、あの時から時間が止まって縛られ続けている。

今日の自分の身体の反応や、しばらく不安定が続きそうな心の状態を考えると、私はなんだかの心理療法を受けた方がいいのかもしれない。

 

 昨夜、昌也との別れ際「早くいい男作れよ!」の言葉にひどく傷ついた。レイプ事件があった当時、私の様子を見て昌也はとても心配してくれていた。俺でよければいつでも相談に乗るよと言ってくれていた彼。私が求めているのは昌也なのだ。

優子のように、しなだれて泣くことができたらどんなにいいだろう。慰めなど求めず、吹っ切って自分の人生を歩める瑠美のように強くなれたらどんなにいいだろう。

私の中の何かが慰めを強く求めながら、つよく拒否している。

 

毎日自慰をしないと眠れない自分の身体に辟易しながら、今日もアルコールが回った体を、ベッドに横たえる。

 

・・・・・・・・・・・・・・

番外編 4人のその後

 

瑠美は見事ニューヨーク支社立ち上げのメンバーに抜擢され渡米。ニューヨーク在住の日系アメリカ人と出会い恋人同士に。Yes Noはっきりものを言うアメリカの方が性に合い。彼と結婚して永住することに。会社を辞め夫の仕事を手伝い、水を得た魚のように暮らしている。

 一方昌也は仕事で大失態をしでかし、大阪支店に左遷。貴子の部下となる。優子は泣く泣く遠距離恋愛を受け入れたが、しばらくすると、エリートコースから外れた昌也より有望な彼氏を見つけ、昌也とはあっさりさようなら。

貴子は友人の紹介でホメオパシーの治療を受け、だんだんと昌也に気持ちを打ち明けられるようになる。

落ち込んでいる昌也を元気付けるためにあちこち連れて行ったり、大阪での仕事のノウハウを教えたり、二人の距離は縮まっていく。ついにレイプの話も昌也にすることが出来て、昌也は一生貴子を守ると誓って二人はゴールイン。貴子はもう出世を目指すような事はせず、仕事をしながら自分が救われたホメオパシーを学び、自分のような人を助けると言う目標を持って幸せに暮らしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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レメディ物語り

2024-06-12 16:29:16 | ホメオパシー

Nux-v ナックスボミカ  〜70代男性 私の妄想物語り

「鳩おじさんの人生」 

 

 荒川を跨ぐ大きな橋の下に、鳩おじさんは住んでいた。夕方、散歩の途中におじさんの家の脇を通ると、いつもおじさんはラジカセで音楽を聴きながら、お弁当を食べている。たくさんの鳩が集まってきて、おじさんの頭や肩に留まり逃げない、その姿はまるでボロをまとった仙人のようだ。

家と言っても、テントとゴミの山がおじさんの家、彼は世間でいう所の、ホームレス、路上生活者である。

そのおじさんが、ある日ゴミとテントと共に消えてしまった。立退にあったのか、病気になったのか、はたまた死んでしまったのか・・

散歩を続けながら、私は鳩おじさんの人生を空想するのであった。

 

******

 

 俺は貧しい家に生まれた。

親父は安い賃金で働く労働者だった。毎晩、酒を飲むのが唯一の楽しみ。自分でも、もっとマシな人生があったと思っているからであろう、その酒は楽しいものではなく、酔っては管を巻き、酔い潰れるまで手が付けられない。

 親父のようにはなりたくない。俺を促すのは常にその気持ちだった。自分の生まれた境遇を嘆いている暇は俺にはない、自分の力で、この世界から抜け出てやる。こんな生活はまっぴらごめんだ。親父と俺は違うんだ。俺の人生の目的はエリートになること、一番になること、それのみに突き動かされて生きてきた。

 

エリートコースを歩むには、まず高学歴を得ることだった。アルバイトをしながらとにかく猛勉強した。誰にも負けたくない。その気持ちは受験戦争を勝ち抜くには、有利に働いた。

おかげで、奨学金を得て、有名大学を卒業、大手商社に就職、トントン拍子で出世コースへと進むことができた。

 とはいえ仕事の世界でトップに登り詰めるのは大変なことだった、勉強は一人相撲で済んだけれど、仕事はチームプレーだ、できの悪い部下にはいつもイライラして怒号を浴びせたが、結果を出している間はみんな俺についてきた。

俺は、ライバルを出し抜く策略に長けていた。今となって思うと、みんな俺の下にいたら出世コースに乗れるだろうと思って、ついてきたのだろう。

 いつも仕事のことばかり考えていて、私生活などなかったが、それなりに女にはモテていた。ブランドのスーツに身を固め、名のある店に女を誘えば、どんな美女でも、令嬢でも口説けた。毎日のように、女を変え、酒を飲み、SEXをした。仕事でのサバイバルの緊張は、酒と女でやっと忘れて、眠りにつくことができた。

そして朝、コーヒーをがぶ飲みして体に残ったアルコールを飛ばし、戦闘体制で、また仕事に臨む。

自分は父の飲む酒とは違う、輝かしい人生なんだ。そう思い込んでいた。

 

 結婚したい気持ちはなかったが、上司の勧めで、結婚した。従順そうな、品の良い女性で、彼女と家庭を築き、落ち着いた幸せを手にするのも、悪くないなと思った。そろそろ取っ替え引っ替え女と付き合うことに飽きてきたのもあるが、ある年齢になったら、結婚していた方が信頼され出世の役に立つというのが、大きな動機の一つだったかもしれない。

その頃の俺の収入は右肩上がり、世の中もバブル景気の真っ只中、郊外にローンで新築の家を建て、まもなく息子も産まれて絵に描いたように、幸せな家庭だった。

 

 しかし結婚しても差して生活は変わらなかった、相変わらず仕事だけが人生の毎日で、子供の事は妻に任せっぱなしで、家庭など省みる暇はなかった。

妻にも子供にも、いい暮らしをさせている、そのために働く、当時はその自負しかなかった。家族は自分がいなければ生きていけないのだ。俺様が養ってやっているのだ。仕事がうまく行かなくて、妻や子供に当たり散らす日もあったが、そのぐらい受け止めて当然だと思っていた、なんと言っても俺が食わしているんだから。

そして相変わらず仕事の息抜きと称しての女遊びや、それも仕事のうちと、仕事関係の知り合いと飲み歩き、いつも帰りは午前様だった。

 

輝かしい人生に翳りが出てきたのは、バブルが弾けたころからだった。というより、ピンポイントであの日。俺が一番で無くなったあの日が、転がり落ちる人生のスタートだった。

 俺のプロジェクトが負けたんだ。今思うと、自分の古いやり方が通用しなくなっていたんだな。若手でITにも強く、考え方が柔軟な後輩のプランが通った。

それを境に、上司も部下も、信頼があいつに移っていった。

 もちろん、そんな奴にはもろともせず、バリバリ働いたさ。俺は俺のやり方で。でもな、身体の方も翳りが出てきちまった。

酒とコーヒーと激辛が好きで、胃薬は欠かせない、他は至って健康のつもりだった。所がついに胃潰瘍になり、肝機能も衰えて、検査の数値がレッドカードだという。そういえば、体がいつもだるくて、頑張りが効かなくなってきた。それでも、酒がないと眠れないから、酒量は減ることがなかった。

何もかも悪い方に転がるとはこのことだ、会社では営業職を外され、事実上の降格だ。

今まで、ついてきてくれると思っていた部下も、自分に一目置いてくれていた上司も、自分から離れていった。

そんな状態には耐えられずに、自ら会社を辞職し、今度は株の売買で一旗あげようと、資産を全て投じた。転がして儲けようと、借金をして、不動産も買った。

そこにおり悪く、リーマンショックだ。株は暴落、あっという間に借金が膨らみ、家のローンも払えず、売却する。自己破産だ。

狭いアパート暮らしになり、それでも俺は、酒浸りとギャンブル。妻がパートで働いて、なんとか生活を支えてくれたのに、それにも、自分は暴言を吐き、暴力を振るった時もあった。俺は大荒れに荒れた。

妻が子供を連れて、家を出ていくのにそう時間はかからなかった。

 

一人になった。家賃が払えず、大家に追い出された。いつの間にか、路上生活者だ。

役所の人が生活保護を勧めたが、そんなのはまっぴらごめんだった。今更、ハローワークなんか行って、働くことはできない。

最初は、炊き出しなんかしてくれる公園で寝泊まりしてたんだ、だけど俺はそこでもうまくやれなかった。そこでも一番になりたがってしまったんだな。

ボランティアの人に楯突いたり、やたら仲間内で仕切りたがったり、まあ一言でいえば威張っていた。

だんだん煙たがられてな。居づらくなってここに流れてきた。

ここで、空き缶や、空き瓶を集めて暮らしている。炊き出しなんかに並ぶよりずっといい。

 

 それで、ここで川の流れを見て、朝日と共に起きて、夕日と共に寝床につく暮らしをしてるうちに、思い出したんだな。

親父とよく河原でキャッチボールした事を。ずっと軽蔑していたけど、俺が小さい頃は、優しかったんだよ。俺は親父よりマシな人生だと思っていたが、子供と遊んだこともなかったよ。ひどい父親だよ。自分の人生を振り返って泣きに泣いた。

 

今は人生で一番心が穏やかなんだ、イライラすることもない。冷えるのがちょっときついがな。あとはこの生活が幸せなんだよ。

俺は一体何を頑張っていたんだろう。後悔しても仕方がないが、失って初めて、自分が間違っていたことに気付いたんだよ。

今はな、鳩が俺の家族。時々、路上生活者の仲間も遊びにきたりしてな。結構楽しくやってるよ。

 

*******

 

おじさん今どこにいるのかな。

 

 

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トラウマからの回復

2023-12-04 08:22:00 | ホメオパシー
今年度から母校であるハーネマンアカデミーのお手伝いをしている縁で
1時間の講座をする事になった。
 
トラウマと言う程大げさでなくても、
たとえ記憶から抹消してたとしても、
生きていたら、
誰でも心に
何本かの棘が
つき刺さったままになっていたりする。
 
そいつは、ダイレクトに今の生き方や
今の不調に繋がっている。
 
だから何よりも、その棘を抜くことを
第一優先にした方がいい!
ある時から、私はそう考えて
回復のプロセスを歩んできた。
 
ホメオパシーで、大きなトラウマを
乗り越えた、自分の体験を話します!
 
12月7日  15時〜16時
無料講座です!
お申し込みは、ハーネマンアカデミーのサイトから。。
 
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自分を好きになる

2023-09-10 16:04:51 | ホメオパシー

自信がない・自分が嫌い・自分に腹がたつ・自分なんか・・
そんな人がいたら、まずは、自分を好きになりましょう!自分を愛しましょう!
っていうのが定番かもしれない。

できればいいけど、できないから苦労してるんじゃん!

ちょっと思ったんだけど、腹が立つ人って、大抵好きな人じゃん!
恋愛してる時を思い出して!腹を立てても、いつもいつも考えちゃう。
まあ親とか、パートナーとか、子供もそうかな・・

だから、自分に腹が立つってことは、自分のことが好きなんだよ。
思いっきり、腹を立てた向こうに、こんな自分でも愛すべき存在だなって言う気持ちがやってくるんだと思う。
一番いけないのは、自分の気持ちを、誤魔化して無いことにしていることだと思う。

ネガティブ感情もとことん付き合ったら、その向こうに青空があるよ!

一人で大変だったら、セッションに来てね!

 

ホメオパシーセッションとは

ホメオパシーセッションとは

ホメオパシーは200年以上前にドイツで生まれた、自然治癒力に働きかける人に優しい療法です

Kint&Homeopathy ALUN

 

 

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ホメオパスとしてプロデビューしました。

2023-09-08 13:18:09 | ホメオパシー

本当は一年も前の事ですが、ホメオパスとして活動しています。

 

ホメオパシーセッションとは

ホメオパシーは200年以上前にドイツで生まれた、自然治癒力に働きかける人に優しい療法です

Kint&Homeopathy ALUN

 

2020年、四年生のホメオパシーの学校、ハーネマンアカデミーを卒業して

その後、残った課題に取り組み、足掛け六年でDeplomaを取得しました。

私自身がトラウマを抱え、フラッシュバックやPTSDの経験があるので

そんな心の問題がある方に是非体験して欲しいです。

いろんな乗り越え方があると思いますが、ホメオパシーはとても変化が早いです。

と言っても、心の問題の場合。魔法のようにすぐ消えるわけではありませんが、あなたに似たレメディを探しつつ、同行二人、あなたの回復の道のりに寄り添います。

むずかしい、症例の場合、ハーネマンアカデミーの永松昌泰学長にご指導して頂いています。私が日本一のホメオパスと思って尊敬している先生です。

今までに、観てきたクライアント様は、素晴らしい変化を経験しています。

生きづらさを抱えて苦しんでいる方、苦しみを手放しに来てください。

 

 

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風のジャクリーヌ

2022-01-11 11:14:00 | ホメオパシー
ホメオパシーの勉強は、人間の勉強。授業の中で度々、映画を鑑賞します。しかも同じ映画を何度も!

その中で今のところ私のベスト1の感動作品が「本当のジャクリーヌ・デュプレ」

ジャクリーヌ・デュプレは世界的な有名な天才チェリストで、キャリアの絶頂で多発性硬化症を発症して1987年42歳の若さで亡くなりました。

彼女の生涯を映画化したこの作品は、お姉さんや家族の愛が溢れる素晴らしい映画ですが、赤裸々に家族の恥とも言えるようなことまで出てくるので、先日、3度目になりますが、授業で見たときに、ふと、なぜこのような映画を作る事が出来たんだろうと疑問に思ったんです。

それで、質問すると、家族が本を出版して、それが原作になっていると言うのす。
それを聞いて、ざわっと鳥肌が立ちました、こんな映画を作らなければならなかった家族の気持ちとはなんなのか!
早速に本を注文して読みました。

読んでみたら、本当になるほどでした。
ジャクリーヌ・デュプレという人は、私が思っていたより有名な方のようで、病気が発症した当時は、世間の人は、勝手に自分のストーリーを作り、お母さんがジャクリーヌに音楽を強要して、そのストレスで病気になったんだと、中傷したんだそうです。
事実は、全くそんなことはなく、母を始め家族がジャクリーヌ・デュプレという天才を支え、育てるために身を犠牲にし、翻弄されつつ、ジャクリーヌを愛した様子が、本には事細かく書かれています。
世間というものに勝手に作られた、ジャクリーヌを自分たちに取り戻すために、無念のうちに亡くなった母のためにこの本を書いたと著者の一人、ヒラリーは書いています。

ヒラリーは闘病中、ジャクリーヌがヒラリーの夫に、精神的、肉体的(性的)な助けを求めたときに夫を差し出すのです。
その精神って、想像がつかないのだけれど、ヒラリーはそれは、自分には当たり前のことで、差し出さなくて、ジャクリーヌがダメになってしまったら、その時の罪悪感の方が大きいのだと書いています。
天才という怪物が家族にいるということの、凄まじさとは測りしれません。
しかし人間としての葛藤やトラウマを抱え、ジャクリーヌが亡くなった後生きていくには、このことを書くことは彼女にとって、必要不可欠だったのではないかと思えます。

映画というのはお話で、その映画の中で世界が完結します。
でもこの映画のように、登場人物が実在していて、それを詳しく知ることは、映画を含んだ、なぜその映画ができたのかという、もう一つの、物語に出会う事が出来るのです。
原作には、映画の裏側にある、偉大な天才を育てた家族ひとりひとりの人生が描かれています。

この映画と本は、両方で一つ。
ぜひ二つをセットで鑑賞されることをお勧めします。映画が先がオススメかな〜。

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久しぶりに

2021-10-13 21:47:14 | ホメオパシー

ものすごい久しぶりに、gooブログを開いたら
すっかり様変わりしていて、時の流れを感じます。

私の生活も様変わりして、ちょいちょい何かは作っているけれど
ホメオパシーの勉強が楽しくて、この歳にして毎日勉学にいそしむ毎日です。

第2の人生で大学に行く人とか憧れだったので、
ホメオパシーの学校、ハーネマンアカデミーに入学して
本当によかった!

これから、編み物の事
ホメオパシーの事
そのほか私の好きな事を
またポツポツ綴っていきたいと思います。


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