骨髄異形成症候群(MDS)と向き合う

2020年1月末梢血幹細胞移植 
2023年7月再発 
2023年12月臍帯血移植

経過観察という選択

2017年12月29日 | 日記
これまでの経過の話の後、
医師が切り出したのは 経過観察 の薦めだった。

前医は、
骨髄移植を望むなら65歳までに、高齢になると体力が持たない、
と説明したから

少しでも若いうちに、
少しでも体力が残っているうちに
骨髄移植に望みを託そう!

わずかな期待を持って、
紹介された移植実績の多い病院。

すぐさま移植の話に入ると思いきや、

医師の口からは

現段階では移植も抗がん剤も薦めません。
普通の生活ができる間はそれを大事にしましょう。
移植をするか、抗がん剤を選ぶかの選択は
病状が進んで次の段階に入ったところで改めて考えましょう。
それまでに考えが変わるかもしれないし、
家族や周りの状況も変化があるかも知れない。
急いで決めないで
普通の生活をしばらく続けるということで
今は 経過観察 がよいと思いますがどうされますか?

その後、移植や抗がん剤についてのリスクをいろいろ聞かされ、
移植に関しては私の想像以上のリスクがあることを知らされた。

前後の処置の苦痛に加えて
この年齢だと 最高に上手く移植が成功したとしても
その後5年以上生存できる人は約5割。生存できない人も約5割。
移植自体が最高に上手くはいかない人の方が多いから、
そういう人の余命はもっと短い。

寿命が80歳、90歳が普通となってきている現代なのに
厳しいことを言うようですが

65歳までの生存は望めないと思います。

初めは時には笑顔も混じりながら話を聞いていたが、
話が深刻になるにつれ、ただ黙って淡々と聞くのみ。
ダンナも隣で黙って静かに聞いている。

前医の説明で 完治の望みは薄い 
と、ある程度の覚悟はしていたが、
今の段階で骨髄移植を却下され、今後たとえそれを試みて成功したとしても
70歳までの生存が叶わないと思うと、一気に落胆、
わずかな望みも絶たれてしまった。


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わずかな期待を持って

2017年12月24日 | 日記
大きな不安とわずかな期待を持って
いよいよ骨髄移植に臨むべくK病院へ入った。

ホームページで病院内の大まかな配置は見てきたが、
玄関を入ると左右に長く広いロビー。端まで目が届かない??

総合受付の文字を探し紹介状を持っての予約だと伝え、
次は2階の外来受付へ。

2階にあるいくつもの科をまとめた受付で、かなり混んでいる。
しばらく待って受付を終え、血液内科近くの廊下の待合で待機。

予約時間から約1時間近く経ち、
やっと看護士の問診が始まった。

病気が発覚するまでの成り行きを事細かく聞いてくる。
しっかりとした知識を持って対応してくれている雰囲気で
しかも笑顔がやさしい。
この時点で、緊張はずいぶんと和らいだ。

それが終わると、今度は診察室の前の待合で待機。
最初の待合と比べると、こちらの廊下は少し暗くて
心なしか待つ人の表情も暗く感じる。
特に血液内科の前はみんな暗い?
既に予後の宣告をされた人ばかりなのだろうか。

そこでもしばらく待ってやっと診察室に入ったのは
1時をかなり回っていた。

担当のM先生もにこやかに迎えてくださり
ちょっとだけホッとする。

だが話の内容は、私が期待したものではなかった。
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K病院へ

2017年12月23日 | 日記
11月後半、紹介されたK病院へ。

12時の予約。
朝7時過ぎに家を出て、バスを乗り継ぎ病院へ。
一人で通院はまだ可能であるにも関わらず、ダンナも同行する。
このダンナ、心配してくれるのは有り難いが、
車での遠出が苦手な上に、方向音痴でバスや電車に乗るのも全て人任せ。
同行の意味が無い?
私がいなくなった後、一人で生活できるのか・・・・・。


K病院へ期待しながらも
緊張のためか体調は優れない。

病院は県内の県庁所在地。
車で行けば2時間足らずではあるが、
運転する気力もないのでバスを選択したのであるが、

このバスのルートが山越えのためカーブの多いこと。

元気な時であれば道沿いの川やダムや山々の景色を愛でるところであるが、
不治の病を宣告された今の私には、このカーブの連続は苦痛でしかなかった。

軽い吐き気を感じながらもなんとか持ちこたえて終点で降りる。
そこから病院までは歩いて約10分。
地図で見た方向へ足を向け、キョロキョロするとビル街の向こう、
一際高いところに病院名が見えた。

そこを目指して歩いていると歩道橋に差し掛かる。
いつもなら何でもない歩道橋のはずが、
階段の途中で息切れして動けない。

貧血が進んでいるのか?

何度も深呼吸して落ち着くと、再び歩く。
辛いのは昇りの階段だけで、なぜか下りや平坦な道ではほとんど息切れを感じない。

たどり着いたのは病院の裏手。フェンスで囲まれていて入口が見つからない。
仕方なく、もう少し歩いて正面玄関へ回る。
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前向きに

2017年12月18日 | 日記
ドナーが見つかれば助かる。

という医師の言葉を信じて
大きな希望を持って前向きに考えることにした。

二人の弟妹はドナー検査を快諾してくれた。

骨髄移植を前提として、勧められたK病院を紹介してもらい翌週転院することとなった。

その日から、病名と骨髄移植についてネット検索が始まる。

 
医師の話では兄弟姉妹がドナーに成りえる確率は 3分の1 だったが、
インターネットではどこを見ても 4分の1 。低い。

経験者のブログを探すが、同年代の人が自分で綴っているものが見つからない。

とりあえずはK病院に望みを託すことにして
それ以上の検索は一時休止。

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望みは骨髄移植

2017年12月17日 | 日記
薬や治療法は無いけれど、骨髄移植をすれば助かる人もいる。
ドナーはできれば兄弟姉妹がよいが、型が合う確率は3分の1。
兄弟に合う人がいなければ骨髄バンクに頼ることになるが、
適合者が直ぐに見つかることは少ない。
移植をするのであれば、できれば65歳までがよい。

ドナーもリスクを伴うので、
兄弟姉妹間でも揉めることがある。
ドナーとしての適合検査をお願いする場合はくれぐれも慎重に。

助かる道は 骨髄移植のみ。

抗がん剤での延命か、骨髄移植に掛けるか。

もし家族や兄弟姉妹と話し合って、骨髄移植を希望するのであれば、
その医師のいる大学病院でもやってはいるが、自分は専門外。

県内では他にK病院と日赤病院で移植をしており、
そのうちK病院は骨髄バンク、移植の拠点病院として多くの症例、移植の実績がある。

もし移植を考慮するのであれば、K病院に紹介状を書いてもいいし、
セカンドオピニオンを受けてもよい。

という医師の説明。

ドナーさえ見つかれば骨髄移植で健康体になれる。
そう理解し、希望が見えた。

その日から骨髄異形成症候群と骨髄移植に関してインターネットで調べ捲る日々が続く。
寝る前、夜中、早朝、
昼間は会社勤めのため休憩時間しかネットを見ることはできないので
気になって仕事が手につかない日も。
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宣告

2017年12月16日 | 日記
11月半ば
骨髄検査の結果を聞くためにS病院へ。

医師は普通に数値の説明を始める。
初めて耳にする言葉が多かった。

染色体は異常なし。
男女で Y と X の違いがあると聞いたのは中学だったか高校だったか。
あの頃はまさか自分の染色体を見るとは思わなかった。

いくつかの検査の数値を言った後、
この結果からみると MDS という病気だと思われます。

そう言って出した資料の左上には 骨髄異形成症候群 という病名があり
その横に赤のボールペンで MDS と医師が書き足した。
myelodysplastic syndromes の略称です と。

血液の病気と言えば、再生不良性貧血 と 白血病 しか知らない私は
それらとは違う病名であることに少しホッとした。

一つ一つ丁寧に結果の数値を説明して頂き
その都度、低い数値だというので安心しながら聞いていた。

この結果、それぞれの数値をランク付けて数字にしたものを足していくと
4段階のレベルの下から2番目 Intー1 になります。

リスクは小さい。

が、次の言葉に耳を疑う。
今の状態では将来白血病にかかる確率は30%。
これは治療法が無い病気です。薬も無く、手術で治るものでもない。
今すぐにどうこうなることは無いと思うが、症状が進むと抗がん剤を使用し進行を遅らせる。
しかし、これも遅らせるというだけで治すものではない。

段々と話が重くなってきた。






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骨髄穿刺

2017年12月15日 | 日記
血液検査の結果、
今すぐどうこうといった病気ではないだろうけども
何らかの血液の病気が疑われる、といことで

診察室とカーテン1枚隔てたベッドにて穿刺。

左臀部の上部に部分麻酔を打つ。
臀部なので見ることはできないが、
感覚としては穿刺位置の周りを円形に打ってる?

少しずつ何本か打ちながら、
これ痛い? を繰り返し、痛みを感じなくなるまで打った後、
いよいよ骨髄採取のための穿刺。

普通の注射針よりは少し太いとは言っていたが(見ることはできなかった)
骨に入り辛いようで何度も力を入れて押し込む感じ。
一度、ズン! という重い感覚で左足全体に響く感覚。
(このズン! が 後で考えると曲者で、この後とんでもないハプニングに見舞われるが
 これについては後日記述ということで)

その後、骨髄を採取し、プレパラートか何かに延ばして乾燥させている様子(これも見えない)。

同じ作業で少し横にもう一回。
二度目はズン!の感覚もなく、スムーズに終わった。

この医師は大学から週に一度だけこの病院に来るので、
結果がわかるのは二週間後になるが、
その日は祭日なので三週間後に来て下さいとのこと。

「今すぐ何かしなければならないような病気ではないと思いますので」
この時も医師の言葉は、助からない病気 を想像させるものではなかった。
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転医

2017年12月14日 | 日記
紹介状を持って 車で40分ほどのS病院へ行く。

20代の頃、一度だけこの病院で受診した。
胃のバリウム検査で ゲップを出してはいけない という注意を受けたにもかかわらず
ゲップが出てしまって検査技師に怒られて以来、この病院で受診したことはなかった。
あれから38年くらい経ったであろうか、建物は古いイメージを隠せない。

しかし呼ばれた内科の診察室では
看護士は笑顔で、担当のH医師も丁寧に挨拶してくれて暗いイメージは払拭された。。

普段は大学で血液専門医としてやっておりますが、
こちらの病院へは普通の内科医として週に一度来ております。
よろしくお願いします。

物腰が柔らかく、印象はよかった。

その日は血液と尿の検査、及び胸部、腹部へ聴診器を当てる程度。

血液検査の詳細な結果が出るまでに数日かかるので、
1週間後に結果を見た上で、必要なら 腸骨から骨髄液をとって検査します。
検査後は30分くらい休んでから帰宅して頂きます。

簡単な説明でこの日は終了。

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紹介状

2017年12月12日 | 日記
電話の翌日、仕事を終えて紹介状を取りに行く。

受付で紹介状を受け取り、
予約日、時間、医師の名前を確認後、料金を支払って病院を出た。

が、????? 
何の説明も受けてないことに気づき、引き返して受付へ。
いつも頂いていた血液検査の結果を頂けますか? と言うと、
患者さん渡し分は紹介状の中に入れています、とのこと。

(いやいや、それでは何がよくないのかわからないまま紹介先へ行くことになる)

では病院用をコピーしてください、と言うと
先生に説明を聞きますか?

(当然でしょ!?)

夕方の閉院直前の時刻だったので、患者は少なく、ほどなく診察室に呼ばれた。

いつもより増えた検査結果の項目の最後に 赤芽球1 とある。
これが普通は血液中には出てこない物なので何らかの血液の病気が疑われる、
専門医を受診した方がいい、という簡単な説明。

血液疾患は再生不良性貧血と白血病程度しか聞いたことがないが、
可能性のある病名は何も語られなかった。

芽球が出た事で、医師は重篤な病気を確信していたであろうが、
そういう素振りは見せなかった。

一年近く鉄剤の処方だけで
詳しい検査をしなかった事への反省や焦りがあったのだろうか。

5分ほどの簡単な会話だったが、
当然のことながら医師と顔を合わせたことで追加料金発生、
支払って帰宅。


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医師からの電話

2017年12月11日 | 日記
血液採取の翌日、医師から電話あり。

普通、血液中には出てこないものが少し出ているので血液の病気があるかも知れない。
念のため血液の専門医を紹介したいので紹介状を書いてもいいでしょうか?

はい、お願いします。

S病院に週二回、火曜日と金曜日にA大学病院から血液専門の医師が来ているのでそちらを紹介したいのですが、
何日がご都合がよいでしょうか?

では次の金曜日でお願いします。

明日、紹介状を用意しておきますので取りに来てください。


わざわざ医師が電話してきたところを見ると、ただならぬ病気なのか?
それにしては簡単な説明、受診を急かす様子もなかった。

後でカレンダーを見るとその金曜日は13日であった。
私はキリスト教徒ではないから気にしないでおこうと自分に言い聞かせたが
その日から災いは目に見えて現れてきた。
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転院へ

2017年12月10日 | 日記
10月に入って定例の受診日、

今日も同じ対応であれば、専門医へ転医しようと意を決して行くと、
その医師もやっと鉄分不足の貧血以外を疑ったのか、
赤血球やヘモグロビンのわずかずつ下がっていくデータを眺めながら
「もう少し詳しい検査をさせてください、検査項目を増やしてみます。」と言った。

エッ?もっと詳しい検査? 
もっと詳しい検査があるならなぜ最初の受診でやらなかったの!?
健康診断の結果、 要治療、要再検査という書類を出したのはほかならぬ貴方でしょ!

と一瞬よぎった言葉を飲み込んで
はい、お願いします と答えた。
血液内科のある大きな病院へ出向かなかった自分も考えが甘かったのだから。

鉄剤を飲み始めて9ヶ月目
健康診断の結果を受け取ってからは既に11ヶ月目に入っていた。


 
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鉄剤8か月

2017年12月07日 | 日記
やっと病院での受診に踏み切ったにも関わらず、
処置は血液検査数項目と血圧測定程度、そして鉄分補給の薬が処方された。

私はその時はまだ、もっと細かい血液検査があることは知らなかったから
あえてそれ以上の検査を望むこともしなかった。

健康診断で 要医療 という結果が出た人には
再検査若しくは治療を促す旨の通知書を封筒に入れたものを渡される。

しかし職場の産業医として通知を出したはずのその医師は
貧血イコール鉄分不足 という思い込みがあったのか、

その後8か月間、ずっと同じ薬を処方し、
赤血球とヘモグロビンの値の変化を見ていた。

その間、わずかずつ値は下がっていたが、
家庭、仕事、地区の役員 と多忙でいつも疲れており精神的なストレスも多く、
また血圧も不安定だったので
時々頭がクラッとしたりフワフワとした貧血症状が現れるのも
私自信、初めはそれほど深刻に考えてはなかった。

医師の対応も物腰柔らかで格別の不満はなかった。

しかし数か月経っても数値も症状も改善されないことから
専門医の受診を考えるようになってきた。

が、小さな町、地元の診療所であり医師も優しいので
他の医療機関で受診したいとは言えないでいた。
医者に遠慮してはダメだ! という声が周りからも出てはいたが。

 
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貧血

2017年12月06日 | 日記
2016年11月初旬に受けた健康診断の結果 
貧血 要医療 の通知を手にしたのは12月だった。

それまで血液に異常を指摘されたことはなく、献血にはできるだけ協力していた。

鉄欠乏性の貧血だと軽く考え、鉄分や葉酸のサプリメントを2週間ほどつづけた頃、

献血車が近くに来る機会があり、回復していることを期待して立ち寄ったが拒否された。
献血に同行している医師から 病院へ行った方がいいですよ と言われる。

看護士をしている身内に健康診断の結果を伝えると
中高年で初めて貧血になったのであれば念のために 血液内科 のある病院を受診した方がよい 
とアドバイスを受けた。

市内の病院を検索したが、血液内科はあっても週に2日ほど他の病院から医師が来る体制なので
会社務めをしながらその日程に合わせるのは難しいかも 

と、まだ深刻に受けとめていなかった私は
勤め先の産業医からきた 要医療 の通知書を持ってその診療所に行った。
もし軽い貧血でないのであれば、そこから専門医を紹介してくれるだろうと安易に考えていた。

残念ながら
これが病気の発見を遅らせることとなってしまった。

健康診断の結果を手にしてから病名がわかるまでに約11か月の時が過ぎた。

最初から専門医にかかってもっと早くに本当の病名がわかったとしても

治療法はないので寿命が延びるわけではない。


が、もっと元気なうちに、もっと沢山の終活が出来た筈である。
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2017年12月05日 | 日記
MDS 骨髄異形成症候群 です。
聞いたことも無い病名を告げられた。治療法はありません。薬もありません。
予後の中間値は 3.5年です。唯一回復の可能性が期待できるのは骨髄移植のみ。
ドナーが見つかればのことではありますが。
移植も必ずしも成功するとは限らず、リスクは多い。

ざっとこういう説明を淡々と受けた。

医学者用の資料など頂いたが、専門的すぎて全てを把握できず・・・・・。

要するに、治らない病気、数年内に終末を迎える可能性が大きい。

突然の宣告。
この日から病名や骨髄移植について検索の毎日。

体験者のブログやツイッターを手当たり次第読んでみるが、芳しい情報が無い。
しかもこの年齢(60歳前後)の体験者の自らの記事は見つからない。

どの人にも共通していることは、
難病ではあるが、医療費軽減の指定にはなっていないので
わずかでも延命を望めば、高額な医療費に悩まされる、
途中であきらめる人もいるほどお金の面でも悩む病気らしい。

自然死か、化学療法によるわずかな延命か、リスクは大きくても骨髄移植にかける?

どれを選択するか、
終末に向けての気持ちのコントロール、
身の回りの整理、
家族への伝言・・・・・。

やらなければならないことが山積しているが、
果たして現在の体力がいつまで続くのか、
ネット上では情報が少ないので、これから模索しながら可能な限り綴ってみたいと思う。

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