前回のカキコの後
小田茜さんと音羽太夫で検索してみた。
彼女がゴクミを輩出した「全日本国民的美少女コンテスト」のグランプリ勝者だったとは知らなかった(オスカー所属かッ)
それより驚いたのがTV「輪違屋糸里」で音羽太夫の演技に多くの人が魅せられていて、皆がことのほか茜さんの演技に高い評価(感動)をしていることに、やっぱり見てる人は見てるんだなと、同じ感性の人が多いのにうれしくなったよ。
じゃなぜそんなによかったのか、
このブログを読んでくれてる人のためにちょっとお話してみたい
以前島原で振袖太夫(26歳)にインタビューしたときのことだ
太夫は宴席等で芸を披露するのが主な仕事なので
毎日毎日習い事やお稽古事に明け暮れている生活をしている
自由な時間は少なく、遠出・旅行など行けず(京都を離れることが
ままならない)行動が制約されてしまう
すべてはお客様のために日々修練と研鑽を重ねている
といった話をしてくれたことがある。
太夫が栄華を放っていた時代のお客様といえば
天皇家にも関わるお公家衆、諸国のお大名衆、各地の豪商などで
当時の教養人・文化人でもあるリッチマンを相手に
豊富な芸事を披露したり知識豊かなおしゃべりでもてなしをしていた
*芸事は舞や雅楽(篳篥(しちりき)・笙(しょう)・龍笛)・邦楽(和琴・三味線・鼓・太鼓・横笛・胡弓など)、茶道・書道・香道などを身につけ、歌・俳句・漢詩などの高い教養も備えていた
すべては1日や2日で身につけられる芸ではなく
子供の頃からの長い長い修練・鍛錬の末に磨き上げられた芸ばかり
「正五位」は天皇に拝謁できる、10万石の大名と同等の位なわけで、その高貴な位の太夫を芹沢鴨は一刀両断にしたわけだ
(さて、その辺をドラマを観ていなかった人のためにもうちょっと詳しく説明すると)
...ちょっと長くなってきたので
つづきをまた書こうかな。
ほなね
画像は音羽太夫が置屋である輪違屋はんから揚屋である角屋はんへ向かう
太夫道中のカットでおます
太夫道中とは、引船に先達(せんだつ)され、禿(かむろ)や傘持ちの男衆(おとこし)を従え、置屋からお客の待つ揚屋までの道のりを、高下駄を履いた太夫はんが「内八文字」と呼ばれる独特の内股歩き(足で8の字を描くように)の足さばきをしながら進む様のことをいうでありんす。
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