祈りを捧げる
祈りとは
願いでもなく
理想でもない
しかしそれは
究極の願いでもあり理想でもある
ひとときの間
人間としての自分を鎮め
魂としての自分を思い出す
その位置にいると
全てが整然としており
自分の置かれている場
周囲にあるもの
次に控えている波がよく見える
それを自我の目的で使おうとすれば
直ちにその状態から切り離される
自我は魂の目的を遂行するためにある
死に近づくほどに
自分がどのほど魂と歩んできたか
或いは魂の声を無視してきたか
鮮明に見えて来る
身体が動かなくなっても
頭が働かなくなっても
祈ることは出来る
祈りの場にいる時
あなたから放射される
整然とした波紋は
世界を癒している
この世でどれほど祈りというものが貶められていることか
祈りは思考の前にある
始まりの行為である
そして生の終わりにある
終わりの行為である
始まりと終わりに祈りを置くことが
魂と歩む最良の方法だろう
それを言葉にしたものが
いただきますとご馳走さまや
おはようとおやすみなさいであり
そのような祈りが日常に溢れている
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