座って目を瞑るだけが瞑想ではない
カタツムリのようにゆっくり動くこと
一文字ずつ息が切れるまで伸ばして読み上げること
なども瞑想になる
瞑想とは自我を諦めさせることである
馬鹿げたことを自我は続けることが出来ない
馬鹿げたことを続けるには
意志を持って自我を無視し続けるしかない
しばらく続けると自我は諦め
あなたから離れていく
その時あなたは本来のあなたに還る
本来のあなたの視点からは全てが違って見える
自我が大切だと言っていたものはガラクタに見え
自我が馬鹿にしていいたものの本当の価値が分かる
殆ど全てが逆転して見えることだろう
しかし自我の鏡ではない
ただ真実が見えるだけ
そしてそれらは考える間もなく分かる
感じたものが正しいことが分かる
感覚を曲げる自我がないからだ
真実はただただそのままなのだ
それを奇妙に捻じ曲げていたのが自我なのだ
それによって全てが複雑になってしまっていた
真実はそのままだ