アメノミミ

降り始めの雨のようにポツポツと言葉が落ちてくるようになった。
時に雨となるその言葉を書きとめるブログ。

神の手

2019年07月30日 10時50分03秒 | アマオト
神の手の届かぬ処に行きながら

神の助けがないと嘆く
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真実を生きる

2019年07月30日 10時32分49秒 | アメ
真実を生きる人は

自分にとっての真実しか語らない

真実を語るには覚悟が必要である

私たちの世代ではまだ

そのような事に価値が置かれていない

そんなことはないと思われる方もいると思うが

思い出してほしい

子供時代真実を言ったために

ひどい仕打ちを受けなかっただろうか

真実は時として人を傷つけるのだと

教わらなかっただろうか

傷つけた罰として

自分が傷つけられなかっただろうか

この世ではまだ真実の価値さえも理解されていない

天から来た子は皆知っている

真実以外価値がないことを

真実を知って傷付くのは

エゴにすぎないこと

魂は常に拍手喝采で喜んでいることを

知っている

人は自分にとっての真実を語ればよい

間違っていたことが分かれば修正すればよい

究極の真理しか語っていけないような

息苦しい宇宙を神は創らなかった

外に出さなければ間違っていることさえ

気付くことが出来ないのだから

今自分が真実だと思っていることを言えばよい

あなたを赦さない人はあなたを去り

あなたを愛する人があなたの側に集まる
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心のスペース

2019年07月30日 10時05分37秒 | アメノミチ
心のスペースに目を向ける

感情の空き容量を感じ取ることが出来るだろうか?

グラスに入った水が感情である

この水の状態が感情の状態である

心が凍り付くとは

文字通りグラスの中の水が氷付き動かなくなる

表面だけ凍っている場合もあれば

芯まで凍り付いている場合もある

表面だけ凍っている場合は叩き割ることが可能である

ドラマティックな場面で起きていることはこれだ

芯まで凍り付いている場合は砕いても氷だ

温めて溶かさなければならない

これは砕くより遥かに時間と労力がいる

温めるとは自分の熱を与えることであり

下手をすれば自分も凍ってしまう

怒りや悲しみはグラスの水を波立たせる

そしてその波がグラスを越え

水が外に溢れ出すと涙や癇癪や暴力になる

少しのことですぐに泣く人は

いつもグラス一杯に水が入っている人である

多少のことでは動じない人は

グラスに余裕がある

これが心のスペースである

基本的に女性の方が水の量が多い

感情エネルギーの基本値が男性より大きく設定されている

そのため感情が外に出やすい仕様になっている

グラスの容量によって水の量が同じでも

空きスペースが大きく変わってくる

グラスとは精神構造である

精神に無駄の多い人は

複雑な形状をしたグラスになっている

無駄が多いとはルールや制約が多い人だ

シンプルに生きている人は

グラスの形状もシンプルで

その分容量も多くなる

次に容量を減らす原因は感情のゴミである

ストレスとも言い換えられる

これがグラスの底に溜まり

容量を減らしてしまう

軽度なゴミは歌うことや運動することで排出することが出来る

重度のゴミはグラスの底にへばりつき

並大抵のことでは取れなくなっている

これは生き死にに関わるような事件によって

取り除くことが出来る

事故や病気

ショッキングな出来事により

自分の生きる意味を再考するとき

生き方を変える決意をする時

取り除かれる

生きながらにして生まれ変わるときに

グラスごと一新される

心のスペースは黄金比φが良い

女性は水がφ

男性は空きスペースがφ

であることが望ましい

また感情のトラブルは

水のトラブルとして現実や夢に現れる

洪水

断水

水回りのトラブル

雨漏り

夜尿

鼻水

脱水

など

溢れる系のトラブルの場合は

精神構造の見直し

ストレスの解消

を直ちに考える

枯れる系のトラブルの場合は

感情エネルギーが枯渇しているので

グラス(精神構造)のひび割れチェック

自身の願望より他者の願望を優先させすぎてはいないかチェックし

自分の欲望を大切にしてあげる事である

欲望とは感情の身体のようなものである

身体だけに囚われてはいけないが

身体を蔑ろにすることもまた良くないことなのだ
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神は姿を持たない

2019年07月29日 23時01分13秒 | アメ
神や神霊と呼ばれる高次元の存在は姿を持たない

あらゆる姿を取ることが出来るゆえに

姿が本質を現わさないという事である

樹はある場所に生えている

樹は自ら動くことが出来ないため

その場所と樹は一体であると言える

その場所にはいつも同じ樹が生えていて

その樹に会いたければその場所に行けばよい

一方人間は移動できるので場所と一体ではない

人間は姿をあまり変えることが出来ない

姿とその人は一体であるという事である

その人に会いたければ同じ姿を探せばよいという事になる

高次元の存在になると

姿を自由に変えられるので姿と一体ではない

かつて出会ったときと同じ姿を探しても意味はない

同じ場所に別の人間がいることもあるように

同じ姿で別の神がいることもある

決して騙そうとしているわけではなく

高次元において姿とは位置のようなものなのだ

高次元の存在は波動で識別する

色や音と同じく

独特のパターンを持った波動をしている

名前とは波動を言霊にしたものである

しかしその波動さえもさらに高次元になれば変更可能な要素となる

ゆえに同じ神であっても

いくつもの名前を持つ

異なる側面を写し取った波動は別の名前になる

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身体と魂

2019年07月28日 09時18分06秒 | アメ
身体と魂は

クレーン車と操縦者の関係に似ている

人はクレーン車を操縦することで

非常に重いものを動かすことが出来るが

クレーン車が壊れれば

例え人が壊れていなくても

重いものは動かせなくなる

そしてクレーン車自体も非常に重いので

クレーン車自体の動力でクレーン車自身は動いている

人が動かしているのは操縦桿だけである

この操縦桿にあたるものが

光子や電子であり

それによって脳波をコントロールし

人体を操縦している

実際にはマトリョーシカのような入れ子状になっており

魂がメンタル体を

メンタル体がアストラル体を

アストラル体がエーテル体を

エーテル体が物質体を動かしている

どのボディに不具合があっても

肉体は正常に動かなくなる

そしてここからも分かる通り

物質体を動かす段においては

元の魂の自由度からは非常に制限された状態であるということだ

なぜなら

クレーン車でクレーン車を操縦し

そのクレーン車でクレーン車を操縦し

さらにそのクレーン車でクレーン車を操縦している

という離れ業をやっているのだから

魂の意向を肉体で正しく表現することの

困難さをよく表している
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