この世界はお金の神に支配されている
殆どの人がお金教の信者になっている
お金の多寡によって活動の成否を測り
人生の成否を測り
いかに儲けるか
儲けさせるかばかり
日々考えている
それはお金の神への祈りであり信仰である
最早ミュージシャンも医者も政治家も
芸能人も教師も職人も牧師も占星術士もいない
いるのはお金教の信者と祭司ばかり
祭司はお金の素晴らしさを説く
そしていかに信仰心が大切か
お金の神からの寵愛を受けるにはどうすれば良いかを説く
それは神の代弁者である自分達に従えということ
従う事が信仰の証で
疑う事は不信心であり
異教徒の証である
祭司の言葉は神の言葉であるらしい
人類に新たな原罪が申し付けられた
それが567だ
人は生まれながらに567を背負い
その罪から救われるためには聖水が必要らしい
しかもその聖水は毎年打ち続けなくてはいけない
聖水は神に選ばれた祭司にしか作れず
その中身は極秘だという
それを体内に入れる人さえ
中身を知る事は許されない
そのような横暴な事さえ
信者達にしてみれば
何の問題もないらしい
それどころか聖水を求め
聖水に感謝し
喜んで財を渡す
それが1人あたり100万の借金であっても
信者達には問題ないらしい
時折聖水に適応出来ず死に至るものや
不具者になる者が出るが
数%なら問題ないらしい
聖水を打たずに567で死ぬ人は
その100分の1以下なのだが
それも何の問題もないらしい
彼らの信心誠に結構である
神に命を捧げるほどの熱い信心を持った人が
この時代には何十億といる
これほど信心深い者達の多い時代は
かつて存在しなかった
彼らの崇める神はモロク
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