真理そのままを言葉に置き換えることは出来ない
それは言葉の上の次元であり
言葉は真理の射影であるからだ
真理を現わす言葉は無数に造れる
しかしそれは真理を垣間見た者以外にとって不可解である
たやすく誤解を生む
誤解とはすなわち誤りである
正されるまでは無益なものである
場合によっては有害にもなりえる
例えば
全ては一つである
という真理が在る
そう確かに全ては一つであり何一つ他の全てと分離しているものなどない
しかし手と足が文字通り癒着しているとしたらそれは病である
手も足も本来の役割が果たせないゆえ病と名付けてよいだろう
手と足は体を通して一つである
万物の繋がりはそれぞれの役割を全うできるための経路がある
その経路を介さない繋がりは癒着であり病だ
何もかもと繋がればよいわけではない
あなたはあなたをあなたとして最も活用できる繋がりだけを持っている時
あなたは全てと繋がることが出来ている
あなたと繋がっているものを通して全てと繋がるのだ
繋がってはいけない繋がりを持ってはいけない
それはあなたを不自由にし
あなたの本来の役目を果たせなくなる
手は手として足は足としてあるからこそ
身体は機能するのだ
真理から発生した言葉は
真理を思い出すのに役に立つ
真理は誰もが知っている
私たちは誰もが真理から発生し
真理に沿って存在しているからだ
しかし何を真理と思って生きるかだけが違う
真理でないものを真理と思って生きることは可能だが
それによって真理が変更されるわけではない
真理でないものを見分けるのは容易い
それは永続するかどうか
時代が違えば変わるもの
国が違えば変わるもの
それは真理ではない
真理ではない一切のものは
あなたを不自由にする
しかし恐れなくてよい
あなたに相応しい自由が常に贈られているのだから
一足飛びに真理を手にし
あらゆるものから自由になろうなど
それこそ真理の経路から外れている
全ては一つなれど適切な経路により繋がっている
それを跳び越えて究極なるものと一体になることは病を生む思考である
あなたに贈られている今は幸せに繋がっている
それは耐え難い地獄を見て引き返すか
ストレートに幸せへ続く道を歩むかの一本道である
あなたに植え付けられた自分自身以外のものを捨て去れたら
非常に事は簡単なのだけど
大抵私たちは何が自分由来の物で何が外から植え付けられたものなのかについて混乱している
失敗を避けるために自分の心でなく他人の意見に従うことがどれほどの失敗か
いつも自分の心に従い歩く者は
自分の心に従わなかった時の気持ち悪さを知る
それによりはっきりと自分の選択したものとその結果を知ることが出来る
いつも自分の心に従わないでい続けることは出来ない
それは逆に自分の心がなんであるか知っている者にしか出来ないし
その者が酔狂以外でそのような事を選択することはありえない
多くの人は自分の心に従ったり従わなかったりする
そういう場合自分の心に従わなかった結果生じる気持ち悪さに鈍くなる
そしてその結果何を選択したのか何がその結果をもたらしたのか分からなくなる
誰かを信じるということは
自分を通して誰かを信じるのである
自分を通さずに誰かを何かを信じることは
体を介さずに手と足がくっついているようなものである
あなたが自分の選択しているものを知ることが出来れば
幸せと地獄の一本道をどちらに進んでいるかが分かる
そうなれば過ちは一度で十分なのだ