どういうわけか多くの人は
自分が口に入れる物に無頓着である
病院や満員電車の中でマスクをしている人は大勢いる
病人の吐気には病原体が含まれていることがあることを知っているからだ
また不用意に病人と接触することを避けるのも
自分の身を守るための自然な防衛策である
ところが口にする肉や魚や植物が
病気であるかどうかについてまるで考えない
体内に採り入れるのだから
それは病人の吐息や体液に触れることより遥かに密な接触である
多くの食肉は育つまで不健康な環境で抗生物質漬けである
当然その肉には全てが含まれている
ストレスの高い環境では活性酸素をはじめとする様々な有毒物質が
体内で作られることは良く知られている事実である
それも体内に取り入れている
魚は比較的に肉よりはマシであろうと思われるが
養殖の魚に与えられている薬剤は調べておいた方が良い
それらは死ぬ寸前まで与えられているものであるから
確実に分解されずに残っている
抗生物質漬けで育てられた食用の動物の体内では
耐性菌が生まれている可能性も高い
実際にそのような細菌を取り込んでおり
それが病の原因になることもある
植物はどうだろうか
散布されている農薬や
肥料の中に入れられている農薬
そういったものを取り込むことになる
肉魚よりは健康そうに見えるが…
私たちは多くの病原体を日頃の食事から取り込んでいる
調べられてないだけで癌になっている食肉もあるかもしれない
そういったものを無頓着に取り入れておきながら
自身が病気になることを訝しむ
適度に運動もしていて健康に注意している私がなぜ?と
人間の調和に反した行為や考えによって
不調和な存在が生み出される
それを取り込み自身が不調和な状態になる
それを薬などで治したとしても
その薬の成分は排泄物を通し川や海に流れ込み
また不調和を生む
この不和の連鎖から離れなくては根本的な解決にならない
私たちが皆幸せでありたいと願うのは
幸せであることが自然な状態であることを知っているからだ
人類全体が繁栄するために分業は正しい
しかし細分化されたために全体像が見えなくなっている
循環が見えづらいために自分の身に起きていることと
自分の行なっていることの繋がりが分からなくなってしまった
私たちが日々最も深く接している存在は家族や恋人や友人ではなく
身体に採り入れているものだ
光、空気、水、食物、
それらに対して愛を注ぐことは
自分に対して愛を注ぐことと同義である
真実自体はシンプルである
他者にしていることが自分にしていることだ
それが見えなくなると複雑に思えてくる