Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

茶道入門1年目

2019-12-17 | Thé… sa do u
裏千家に再入門して1年経過の雑感です。
およそお稽古事は長じることを目指すものではありますが、初心者にしか見えないものもあるので、今の初心者らしい気持ちを書いておくことにします。

お茶を誰に習うかというのは、とても大切です。
ご縁に導かれて今のお教室に入門し、素晴らしい師匠に恵まれました。タイミングも、京都生活10年めにして年齢も40代である今が、まさにジャストであったと感じています。

「歳を取るあるある」ですが、ここ数年、時が過ぎるのが速い。
つまり、季節を味わう気力・体力がなくなっているのですが、
その一方で、お茶の季節感といったら、「ここまで細かくなくても…」って思うくらいの区切り方です。
聞いたことのない季語を知るとき、ようやく、浮き足立った気持ちが地に足着いたような…焦点が合ったような不思議なめまいを覚え、急に静かな落ち着きを心に感じます。

季節の移り変わりを感じる時間をこうして持たせてもらっているためか、ささやかなことに感動することが多くなりました。
お茶碗の、僅かな色調の変化や、手触りの多様さに触れているせいか、ものの中にある美しさを感じやすくなりました。

お点前が覚えにくい事に関しては、自分にあらかじめ期待していないので、そんなに落ち込む事もないのですが、心を無にしてお点前に臨むと、比較的、、ご指導がすんなり身にしみて身につく率が高い気がしています。

教わる、というのは、教える側の心を受け止めることだと感じています。
同じお点前なのに、教えるかたが先生のときとベテランの諸先輩方のときと、何か違うものを受け取っています。
それぞれの方が、こちらへ何を伝えようとしているのか、都度、心を澄ますようにしています。

もっとも、何度も何度も同じことを教えるのは本当に苛立たしいものです。
茶道というのはもしかして、
「何度も同じことを教えてもイラつかない気持ちを指導者が育てなければならない」
ところに真髄があるのでは、、
なんて書いてるのを、先生と先輩が見られたらイラつくことでしょうが(~_~;)、
名誉師範であられる先生は、その域に達しておられ…ました。



この記事をそこまで書きかけて中断していましたが、数日後、先生が亡くなられました。
急に容態が悪化して、あっという間に亡くなられてしまいました。
お通夜と告別式で、出来る限り手伝わせていただきました。
こんなに涙が止まらないのはどうしたことだと思うくらい泣きました。社中の皆も、訪れた方達も皆そうでした。みんなの宝物の先生でした。

次に引き継がれる先生がいらっしゃるので、お稽古場は存続します。亡くなられた先生が「これ大好き」と仰っていたお道具たちと、変わらずお稽古ができます。
でも一期一会をこんなに身に沁みて感じさせるお稽古があったでしょうか、
変わらぬ部屋とお道具を見ると余計にそう痛感してしまいます。

同じことの繰り返しを稽古しているようで、強風にさらわれていくようなこの環境の変化は一体なんなんだ、と呆然としているのが今の気持ちです。


そんな心もとない中で、最近読み返した柳宗悦 著『茶と美』は、とても気持ちにしっくりきた本でした。
お家元ありきではなく、道具から始まる茶の道という哲学。
このアプローチが、【美】に奉仕する姿勢にブレず、とても落ち着きました。




コメント    この記事についてブログを書く
« 『円山応挙から近代京都画壇... | トップ | 河井寛次郎記念館 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。