「思考とは単純化して整理することです。知性とは単純化して選択する能力です。知性のある思考はすべて単純な形をしています。」
(『健康方程式365』井上敬著)
今さらですけど、化学の学習を始めることにしました。
理由は、食べものの栄養について、あまりに巷の適当な情報に振り回されている自分がいやになったから。
確実にこれはこうで、根拠はこうである。
と、自分でわかってないと、すっきりしない。いいかげんな情報を鵜呑みにするのは危険でもあるし。
例えば、「酵素が身体にいい」と種類も特定しないまま主張する人の中に、酵素について本当の知識がある人がどれだけいるだろうか。
何種類あって、それぞれの構造はこうで、と体系的に説明できる人がどれだけいるだろうか。
もやっと
「生アーモンドを水に一晩浸けておくと酵素が良く働くから体にいい」
・・・といわれても、聴いててその意味がいま一つよくわからないのは、言ってる方もよく解ってないからじゃないだろうか。
生化学を極めた専門家になるとむしろ、食物から酵素を摂る、なんて説を推す人がシュッといなくなる事実が、いま、気になっています。
web上でふと見かけたものですが、↓↓
「酵素がそのまま、分解もされずに吸収されると考えると、逆に恐ろしいです。酵素は物質を分解する作用を持つのですから、人間の体に元々存在しない酵素が体の組織にそのまま入ったら、どんな影響を及ぼすことか。」
、、という記載を見たりするにつけても、気になります。
「これ、体にいいんだよ」
「どういいの?」
・・・というやりとりを、理解の悪い自分の頭の中でも、筋道立てて完結させられるようになりたい。
でも高校の頃、早々と理系から脱落したので、
(特に化学はぜんぜんだめだった・・・)
5年くらいかけて、最終目的を生化学に置いて、地道に学習していこうと思います。。
京都大学医学部の一般的な学生で半年かかるそうだから、わたしはもしかしたら10年かかるかもー。
今年の初めに薬膳アドバイザーの講座を修了したのですが、
古来からの先人の実体験ありき、にして主には「季節の食材を体調に合せて摂る」ことを目的とした薬膳と、
化学・生物学・生化学からのアプローチはまた全然方向が違い、楽しんでいます。
ところで、
或る分野が苦手な場合は、その分野が得意な人に、その魅力を聞くと、学習に取り掛かりやすくなる、という法則がある気がしました。
幸い夫が理数系にたいへん強いので、訊いてみました。
「化学はどこが面白いの?」
答えは、
「この世にある物質が、公式によって体系づけられて整理されるところ。」
美学、美意識の話なのですね。
たとえば日本語で「水」、と表現される目の前の液体が、化学の世界では、「H20」とあらわされ、それは世界共通言語となる、このスッキリ感。
ああ、たしかに。
また数学の得意な人は、(これまたわたしはダメでしたが、)コンパクトな方程式に情報がまとまるとすごく嬉しいらしい。
これも、わからないでもない。 ←整頓された箪笥や財布などを連想している
ところで、数学Mathematicsについても、面白い話を夫から教えてもらいました。
数学Mathematicsの本質とは、“数式の集合体”という狭義の話ではなくて、
もともと発祥したギリシャでの語源からすると、『空間認識の方法』なのだそうです。
Mathematicsは福沢諭吉によって「数学」という語を与えられ(ただし意味する範囲に関しては解明されていない点が多いそう)、われわれはこの字面から単に数字の羅列に限られるような抽象的な世界のことかと思ってしまいますが、語源をたどると今は文系の学習分野である地理なども含まれる。
本質は、もっと広義のスケール大きい学問だったのね!
wikipediaからも引用しますと、
「数学(すうがく、ギリシア語: μαθηματικ・, ラテン語: mathematica, 英語: mathematics)は、量、構造、変化、空間といったものを対象として、いくつかの仮定から始めて、決められた演繹的推論をすすめることで得られる事実(定理)のみからなる体系を研究する学問である。」
そうです。
(上記を引用されているこちらも、参考までにリンクします)
学習する上で、目の前の課題(大学受験とか、資格取得とか)に目標を限定してしまうと、真の到達点を見失います。
自分の高校での学習&大学受験が、現にそうでした(^^;
その学問の本質・目的を先に知ると、なぜ、それを学ぶのか。の意味がはっきりしてきて、取りかかる際の視点が違う。
大人になってから気が付くのも、なんなんですが。
遅まきながら、高校の時に投げ出したものを拾いに行こうと思います。
(『健康方程式365』井上敬著)
今さらですけど、化学の学習を始めることにしました。
理由は、食べものの栄養について、あまりに巷の適当な情報に振り回されている自分がいやになったから。
確実にこれはこうで、根拠はこうである。
と、自分でわかってないと、すっきりしない。いいかげんな情報を鵜呑みにするのは危険でもあるし。
例えば、「酵素が身体にいい」と種類も特定しないまま主張する人の中に、酵素について本当の知識がある人がどれだけいるだろうか。
何種類あって、それぞれの構造はこうで、と体系的に説明できる人がどれだけいるだろうか。
もやっと
「生アーモンドを水に一晩浸けておくと酵素が良く働くから体にいい」
・・・といわれても、聴いててその意味がいま一つよくわからないのは、言ってる方もよく解ってないからじゃないだろうか。
生化学を極めた専門家になるとむしろ、食物から酵素を摂る、なんて説を推す人がシュッといなくなる事実が、いま、気になっています。
web上でふと見かけたものですが、↓↓
「酵素がそのまま、分解もされずに吸収されると考えると、逆に恐ろしいです。酵素は物質を分解する作用を持つのですから、人間の体に元々存在しない酵素が体の組織にそのまま入ったら、どんな影響を及ぼすことか。」
、、という記載を見たりするにつけても、気になります。
「これ、体にいいんだよ」
「どういいの?」
・・・というやりとりを、理解の悪い自分の頭の中でも、筋道立てて完結させられるようになりたい。
でも高校の頃、早々と理系から脱落したので、
(特に化学はぜんぜんだめだった・・・)
5年くらいかけて、最終目的を生化学に置いて、地道に学習していこうと思います。。
京都大学医学部の一般的な学生で半年かかるそうだから、わたしはもしかしたら10年かかるかもー。
今年の初めに薬膳アドバイザーの講座を修了したのですが、
古来からの先人の実体験ありき、にして主には「季節の食材を体調に合せて摂る」ことを目的とした薬膳と、
化学・生物学・生化学からのアプローチはまた全然方向が違い、楽しんでいます。
ところで、
或る分野が苦手な場合は、その分野が得意な人に、その魅力を聞くと、学習に取り掛かりやすくなる、という法則がある気がしました。
幸い夫が理数系にたいへん強いので、訊いてみました。
「化学はどこが面白いの?」
答えは、
「この世にある物質が、公式によって体系づけられて整理されるところ。」
美学、美意識の話なのですね。
たとえば日本語で「水」、と表現される目の前の液体が、化学の世界では、「H20」とあらわされ、それは世界共通言語となる、このスッキリ感。
ああ、たしかに。
また数学の得意な人は、(これまたわたしはダメでしたが、)コンパクトな方程式に情報がまとまるとすごく嬉しいらしい。
これも、わからないでもない。 ←整頓された箪笥や財布などを連想している
ところで、数学Mathematicsについても、面白い話を夫から教えてもらいました。
数学Mathematicsの本質とは、“数式の集合体”という狭義の話ではなくて、
もともと発祥したギリシャでの語源からすると、『空間認識の方法』なのだそうです。
Mathematicsは福沢諭吉によって「数学」という語を与えられ(ただし意味する範囲に関しては解明されていない点が多いそう)、われわれはこの字面から単に数字の羅列に限られるような抽象的な世界のことかと思ってしまいますが、語源をたどると今は文系の学習分野である地理なども含まれる。
本質は、もっと広義のスケール大きい学問だったのね!
wikipediaからも引用しますと、
「数学(すうがく、ギリシア語: μαθηματικ・, ラテン語: mathematica, 英語: mathematics)は、量、構造、変化、空間といったものを対象として、いくつかの仮定から始めて、決められた演繹的推論をすすめることで得られる事実(定理)のみからなる体系を研究する学問である。」
そうです。
(上記を引用されているこちらも、参考までにリンクします)
学習する上で、目の前の課題(大学受験とか、資格取得とか)に目標を限定してしまうと、真の到達点を見失います。
自分の高校での学習&大学受験が、現にそうでした(^^;
その学問の本質・目的を先に知ると、なぜ、それを学ぶのか。の意味がはっきりしてきて、取りかかる際の視点が違う。
大人になってから気が付くのも、なんなんですが。
遅まきながら、高校の時に投げ出したものを拾いに行こうと思います。
母の言う「生きた酵素を摂取する」というのは間違いだらけだと思います・・・
母が健康オタクで少々困っています。
最近は青汁を強制的に飲まされています。
「この青汁は生きている酵素を使ってるから毎日飲みなさい。CMでよく出てるやつは加熱で酵素が死んでるからだめ」とよく言っています。
「酵素で体内が綺麗になる。酵素を摂取して酵素を体内に働かせることがベスト」とも言っています。
私は一応生物学は取っていますが、どうしても母の言っていることがデタラメにしか聞こえないんですが・・・
1.酵素は死なない - 「加熱で変性、失活する」のいい間違いだと思います。
2.酵素はそのまま体内には入らない - 胃腸で分解されますよね。
それに加え、加熱により変性した酵素でも主成分であるアミノ酸は変化しないので、変化はないと思うのですが。
本当に「生きた酵素」を摂取することで体の調子が良くなるのでしょうか?
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質問日時:2011/2/8U+A022:31:09
解決日時:2011/2/23U+A007:52:22
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ベストアンサーに選ばれた回答
diderot_dさん
お母様は酵素がどういうものかをご存じないんでしょうね。
知らずに仰っていることなので、でたらめというよりは誤解しているってことだと思いますよ。
質問者様は生物学を勉強されてるならご存知でしょうが、そもそも酵素は生き物ではないので「生きている、死んでいる」という表現がおかしいです。
一応「活性がある、ない」ということとして理解するにしても、ある食品なりサプリメントなりに含まれている酵素にどの程度の活性が期待できるかは、そのものを使って実験してみない限りは明言できません。
健康食品の場合、メーカーが実験結果を公表しているものもあるかもしれないので、それを参考にするのもいいでしょうが、信じるか信じないかは自分次第ですしね。
それに、酵素というのは化学反応の触媒的役割をするタンパクの総称ですから、働きは千差万別です。
体内が綺麗になる、というのをお母様がどういうイメージで捉えているのかよくわかりませんが、たとえばアルコール分解酵素なり糖類分解酵素なりを単独でたっぷり摂取したとして、期待通りの効果が得られるのか不明です。
体の調子が悪いなら、まずは医師の診察を受けたほうがいいんじゃないでしょうか。
※ちなみに、タンパク質の働きというのは単にアミノ酸の配列のみによるものではありません。活性には3次元構造が大きな役割を担っているんです。加熱によって3次元構造が変わってしまうと反応性が失われることはよくあります。
まあ、青汁はビタミンや食物繊維が豊富そうだし、健康に悪いことはないと思いますよ。