のっているとき。
つまり、気分が高揚しているときが、一番気をつけるべき時だと思います。
何をかというと、はたから見て「恥ずかしい状態」になりやすいから、それに気をつける。
本人だけがそれをわかっていないのが、一番ありがちで、なおかつ一番恥ずかしいことだから。
人間は調子が出ているとき、スピードが出ているので、
ちょうど速い乗り物から外を眺めているときのように、景色の形が正確に把握できず、びゅんびゅんそれらを飛ばしていきます。
でも止まっている景色の方からすると、なにが飛ばしながらやってきているのか、わりと遠くからくっきり見えているもの。
自分は夢中でも、他人は違う角度から冷静に見ているわけですね。
わたしも、そんなことありすぎて挙げていったらきりがない、どころかそれをキャラクターの一部としてきて久しく、したがって恥の塗り重ねのような人生です。
とても書けないような重大な失態から、
お気に入りのチークでうきうき出かけたデートで「それ、バカボンみたいだよ」と彼(チークが嫌い)から冷静な指摘を受けたりとかまで、
自信を持って楽しい状態がふと視点を変えるとまるで失笑を買う状態であることがある、という事実には愕然とします。
このとき「恥ずかしい!」という感情が生まれるのは、恥ずかしく見えることもある、という可能性を完全に失念していた自分の馬鹿さ加減が情けなく思えるから。
「自分が良いと思うことを、誰もが良いと思うに違いない!」
そんな妄信・至らない想像力を思い知るとき、
自分の立ち位置が思っていたより低かった、
つまり文字通り「思い(だけが)上がっていた」ことを認識するのは、なんともいえない惨めな気分で、うちひしがれます。
そういう中で気付くのは、恥ずかしい思いをするときというのが大体こうして「思い上がって」「スピードに乗って」「ハイテンションで」、なおかつそれに「自ら酔っている」ときであり、
静かにテンション低く注意深くいるときは、あまり味わわない感情であるということ。
とすると、
「注意力が散漫」であること、これが一切の恥ずかしさの元凶なのかもしれません。
警戒心というのとは違う。
冷静な状況判断力、周りとの適正な距離感、自分の立ち位置の正確な把握。
もっといえば、自分の居場所を自らが選び、そこに立ちに行く、という、状況を把握した先手を極めた攻め(天才サッカー選手の繰り出すパスのような)、
これらが「恥」の回避には必要なのかもです。
一方で、ちょっとずるいなと思う例は、「お酒のせい」にするというやつ。
飲んであえてノリ良く恥ずかしい状態を作り出し、失敗をそれに帰結するというやり方を見かけることがある。なんだか込み入ったやり方のような気がする。
個人の趣味だと思うし、真面目な人はそうやってガス抜きをすることが必要なときがあるのかもしれない、とも思うのだけど、なんだか、「向かい合わない弱さ」みたいなものをそこには感じてしまう。
お酒のせいにしたら、お酒から仕返しされそうな気が、うっすらします。
ともあれ、
「生きていくって、恥をかくことの連続なんだよ」
と最近もまたやらかして、しみじみこう言ってもらえたばかりですが、
色んな視点があることを常に踏まえ、なにより自分を他人目線で見つめようとする公平さをつとめて持ちたいものです。
恥を避けたかったら、まず自分とのバランス感覚を失わないこと、なのでしょうね。
photo...気分が高揚したときに買った赤いタイツ。
つまり、気分が高揚しているときが、一番気をつけるべき時だと思います。
何をかというと、はたから見て「恥ずかしい状態」になりやすいから、それに気をつける。
本人だけがそれをわかっていないのが、一番ありがちで、なおかつ一番恥ずかしいことだから。
人間は調子が出ているとき、スピードが出ているので、
ちょうど速い乗り物から外を眺めているときのように、景色の形が正確に把握できず、びゅんびゅんそれらを飛ばしていきます。
でも止まっている景色の方からすると、なにが飛ばしながらやってきているのか、わりと遠くからくっきり見えているもの。
自分は夢中でも、他人は違う角度から冷静に見ているわけですね。
わたしも、そんなことありすぎて挙げていったらきりがない、どころかそれをキャラクターの一部としてきて久しく、したがって恥の塗り重ねのような人生です。
とても書けないような重大な失態から、
お気に入りのチークでうきうき出かけたデートで「それ、バカボンみたいだよ」と彼(チークが嫌い)から冷静な指摘を受けたりとかまで、
自信を持って楽しい状態がふと視点を変えるとまるで失笑を買う状態であることがある、という事実には愕然とします。
このとき「恥ずかしい!」という感情が生まれるのは、恥ずかしく見えることもある、という可能性を完全に失念していた自分の馬鹿さ加減が情けなく思えるから。
「自分が良いと思うことを、誰もが良いと思うに違いない!」
そんな妄信・至らない想像力を思い知るとき、
自分の立ち位置が思っていたより低かった、
つまり文字通り「思い(だけが)上がっていた」ことを認識するのは、なんともいえない惨めな気分で、うちひしがれます。
そういう中で気付くのは、恥ずかしい思いをするときというのが大体こうして「思い上がって」「スピードに乗って」「ハイテンションで」、なおかつそれに「自ら酔っている」ときであり、
静かにテンション低く注意深くいるときは、あまり味わわない感情であるということ。
とすると、
「注意力が散漫」であること、これが一切の恥ずかしさの元凶なのかもしれません。
警戒心というのとは違う。
冷静な状況判断力、周りとの適正な距離感、自分の立ち位置の正確な把握。
もっといえば、自分の居場所を自らが選び、そこに立ちに行く、という、状況を把握した先手を極めた攻め(天才サッカー選手の繰り出すパスのような)、
これらが「恥」の回避には必要なのかもです。
一方で、ちょっとずるいなと思う例は、「お酒のせい」にするというやつ。
飲んであえてノリ良く恥ずかしい状態を作り出し、失敗をそれに帰結するというやり方を見かけることがある。なんだか込み入ったやり方のような気がする。
個人の趣味だと思うし、真面目な人はそうやってガス抜きをすることが必要なときがあるのかもしれない、とも思うのだけど、なんだか、「向かい合わない弱さ」みたいなものをそこには感じてしまう。
お酒のせいにしたら、お酒から仕返しされそうな気が、うっすらします。
ともあれ、
「生きていくって、恥をかくことの連続なんだよ」
と最近もまたやらかして、しみじみこう言ってもらえたばかりですが、
色んな視点があることを常に踏まえ、なにより自分を他人目線で見つめようとする公平さをつとめて持ちたいものです。
恥を避けたかったら、まず自分とのバランス感覚を失わないこと、なのでしょうね。
photo...気分が高揚したときに買った赤いタイツ。
私は体調が変にいいと、テンションがあがってしまってmi様が書いておられるような失敗をよくしてしまいます。
今日は調子いいなーなんて調子にのってると、必ず痛い目に・・・
逆に調子が悪いとテンポが落ちるのでまわりは良く見え注意深くなれるのですが、いかんせん体調が悪いので、気分は良くなく、体も重くてだるいと、自分の中での気持ちよさというものが得られず・・
今とっても体も同時に心も変化が激しく、時計の振り子のように日々のふり幅が大きく軸がなかなか定まりません。
たまにいい凪がくるときもあるのですが・・
mi様のような方でも、気分が高揚して失敗してしまうことがあるのだということが知れて、失敗のレベルは全然違うと思うけど、少しホッとしてしまいました笑
mi様の文章に妙に親近感を覚えて勢いで投稿してしまいました。テンションとテンポが上がり気味、大丈夫かな笑
わたしはほんとに失敗だらけですよ~。
けど、「恥ずかしい」と思える感覚があってよかったな!と思います。
それ恥ずかしいんだよ、と誰かから教えてもらえることもかなりありがたいものですし、ようは、
「なにが恥ずかしいことなのか」
を知っていることが大切なんだと思います。