先月と今月は和装の機会が多くなりました。
世の中が動き始めた証でもあり、ほっとしています。
何にほっとしているかというと、和服業界の衰退に少しは歯止めがかかったかな…なことにです。
まずは身につけて、その後、直したり洗ったり、新しいのを揃えたり。動きがあると嬉しい。
和服はキモノという呼び方が通りいっぺんになっており、人前では自分もそう使っていますが、
昨年にはそんなタイトルで記事もアップしていますが、
実はキモノっていう呼び方はおかしいと前から思っており、
洋服に対しての「和服」という言い方をしたいなあと、実は。。
キモノという言葉には、イロモノ、キワモノ、的“非日常“を持つものを排除する、のニュアンスも感じられ、(穿ち過ぎ?)
1人で簡単には着られない後ろめたさや、高価だろうから手が出ない、、という各個人の水面下の理由も、一般的な敬遠につながっていると思います。かつてのわたしがそうだったように。。
洋服にも長いことハマってきた身からすると、和服は、引き比べて激しく高価な訳ではありません。
晴れ着の最高峰ならもちろん高価ですが、日常に着るものは、洋服程度の値段で買えます。
リサイクル品も、素肌に着るわけではないので洋服より傷みがない(そもそもそうでないと着用対応の市場には出てこない)ので、状態が良いものが多いです。
旧いものも多い一方、「新古品」というのもネットショップでよく見られ、おそらくですが
「お母さんが嫁入りに持たせてくれた若い雰囲気の和服を、娘が実際着ることなく、似合わない年齢になってしまった」
という背景があるのでは。
わたしの母の和服も、実はほとんどそんな感じです。
和のお稽古をしていれば普段着にできる小紋などは、
ハレの日対応の付け下げや訪問着と違って、手付かずのことが多いと思います。
と、購入推奨みたいなことをいいながら、わたし自身は、最近は直すばっかりで、あまり和服を新しく買う、ということはなくなりました。
病気を機に長女のところへ引っ越す、という叔母から新しいお下がりがドサっと来たのと、それでタンスがいっぱいになって来たのと、自身の好みや着る場所が決まってきたので必要なものと不要なものがわかってきたこと、年齢的に無理なものへの諦めがついてきたこと、などなど、あります。
年齢的に無理なもので状態がいいものは、若い友人や着付け教室など、知っている人に渡すようにしています。
そういうの以外で、多分他人に渡しても着てもらえないだろう和服が手元に残った時の見極めというのは、洋服と同じように、苦渋の決断の対象です。
「とにかく数持ちたい!」と若い頃は思いがちで、衣類ってワサワサ買うと満足感がありましたが、
これぞという一着を、大切に着回す
というのが、和服のもつシックな豊かさだった訳ですよね。
モノに対する考え方から見直しを迫られているような気がします。
ユニクロや無印良品なら、そちらで購入して着倒したのを出したら、新しい洋服にリサイクルしてくれるみたいですが、
絹の和服には、工場で画一的に作られたわけではない手仕事の重みが詰まっており、そうはいかない。そこをなんとかして活かしたいなあ、でもどうやって…、
と悩んでいます。古着リサイクルでも和服は受け取り対象外。
実の所、そういう悩みは多いみたいです。
実家に帰ると、少しずつ和ダンスを覗いてみては、今着られそうなものを選んでいるのですが、こないだ、綸子の綺麗な小紋を見つけました。(top画像)
八掛は描かれた牡丹の花の輪郭と同じ色で華やか、金色の花弁には金箔が貼られ、葉も金属系の彩色が施されています。
ああこれ大好きだった、かつて叔母が着て、それから妹が何かの時に着たんだったかな?あの時は羨ましかったなあ、などワクワクの思い出が甦ります。
でも傷みが目立ちました。
頼りにしている悉皆屋さんに、相談しました。
「正直、ピンクが赤すぎて、奥さんの年齢には合ってない。経年の金箔の傷みも激しくて、修理費用の割には綺麗にはならない。長年の保管でついたシミもある。
思い切って、黄色みの強いベージュ系に、染め直してみてはどうか?」
と言われたので、Mさんがそうおっしゃるならお任せします、と出しました。
いつも、
着られないなら処分するしか…
と考えるのですが、この日は、悉皆屋さんが言いました。
・この時代の絹は、現在もはや同じような蚕や桑の葉がないので、もう生産できないこと。
・娘のために拵えた、ご家族の想いが、和服一点一点にはあること。
・本当に寿命がきた絹織物は洗いに耐えられなくなり分解してしまい、そこで命を終える
それまで、なんとかして着てあげてくれないか
という話です。
そういう訳で、わたしが着られる形にするべく、染め直しと仕立て直しに出すことにしました。
悉皆屋さんは、この自粛期間に、今まで以上に仕事の制限を受けています。
平均年齢も高齢化して、若手が70歳なんていうお店もざらだとか!
和服に欠かせない専門家である悉皆屋さんを護るのは、和服を愛する人の務めでもあります。少なくともわたしはそう考えていますので、行先不明な寄付をするくらいなら、この方たちに目に見える仕事をお願いする方針です。自国の文化と文化財を護ることの第一歩は職人さんを尊重することです。
一方で、リサイクル品や新古品を扱う、若い世代の和服ショップ経営者が多く出てきて、頼もしく感じるこの頃です。
木綿や化繊など、気楽な素材の和服を普段着にしている若い女性も、web上やsnsでよく見かけ、嬉しく感じたりしています。
フランスに住むフランス人の友人は、住む街の博物館を文化的拠点にして、着付け教室を開催し、和服の魅力をフランス人へ伝えています。
一握りの愛好家がコスプレ的に楽しむだけを超えて、気楽なおしゃれの一つとして日常にある存在でい続けて欲しいなと、思います。