本を読むのは小さい頃から大好きです。
毎日の半身浴も、苦に感じたことはない、なぜなら、ちょうどいい読書タイム。
帰りが遅くなった日でもそれはあまり変わらず、文庫本を持ち込んで、湯船で長々と過ごすのは、一日の終わりのささやかな幸せです。
以前1時間半かけて通勤していた時は、電車の中も読書スペースでしたが、
都内で暮らすようになってからは、電車に乗る時間が少なくなり、以前ほどは、本を読む時間もなくなりました。
でも満員の混んだ電車では、なかなか本を広げるのもつらく、いつもいつも読んでいるわけではありませんでしたけど。
しかし、ツワモノはいるもので、ぎゅうぎゅうの状態になりながらも、目の前にがんばって本をささげ持って読み続けている人がいたりする。
あまりに満員だと、人の本ではあるけれど、心ならずも一緒に読めてしまったりするんですよね・・・。
目の前にあるから。
以前、3本の電車を乗り継いで通っていた頃などは、朝のラッシュ時、電車ごとに3人の読書に付き合ったことがあります。
あくまで、一緒に読もうと思って見てる訳じゃないんですよ。
目の前に、あるから! ヽ(`◇´)/
その日は、最初の人は父と子の感動小説を読んでいました。海のそばに親子で住むというシチュエーションだったか・・・
が、たいへん印象に残っているのは、クライマックスにさしかかった時に、電車が乗換駅についてしまい、持ち主がぱたんと本を閉じてしまったこと!
うっ
て感じでしょう?
その続きがやたら気になり、いろいろ考えながら、2本目の電車へ乗り込む。
なんとか乗れて、ε=(。・д・。)フー・・・あっ、また目の前の人が、本を広げている。
今度も一緒に読めてしまう。
今度の人は、推理小説を読んでいました。
しかし、私の読むスピードが早いのか、彼女が遅いのか(若い女性でした)、私がそのページを読み終わっても、一向にめくってくれないのです。もう、最後のほうの謎解きに入っていて、あとちょっとで解けるのに、謎が!!
だいぶ自分も物語に入り始めると、人の本なのも忘れて、「早く早く!!」とじれじれしてしまう。
各電車には、それぞれ数十分しか乗らないので、それを思うと、なるべく早く読まないとじゃないですか。
でも、それがかなわないと、残念な気持ちがずっと、こうして続くんですね・・・。
その小説の結末も、結局わからなかった。
ところが、
こうして半端にストーリーを消化不良のまま、3番目の電車に乗り、また次の人が目の前で読書していたりすると、なんだかそろそろ、自分の頭の中も混乱をきたしてきます。
若い女性が、ハリー・ポッターの重いハードカバーを、一所懸命支え持って読んでいたりするんです。
今度は、魔法の世界かー。
割とすぐ、お話に入り込めるタイプなので、1時間前の自分はすっかり海辺で少年と暮らす父親だったのに、さっきはハードボイルドに謎解きをする探偵になっていて、・・・目まぐるしく対象になりきるのは、けっこう切り替えもたいへんなのです。
魔法使いにシフトするのも、楽ではありません。
みんな色んな本を読むものだ・・・
と、ほとほと感心します。
でも、自分が例えば無心に電車で本を読んでいたとして、背後の見知らぬ人が、同じような熱意で、自分の本に集中していたら、
こわいなあ!
と本気で思います。
いやですよね!そんなの!
だって、本を読むという行為は、周りにいくら人がいようが、完全に自分の世界に入れる、言ってみれば心の中のひとり旅。
あまり他人と分かち合うものではありません。
子供の頃に、おかあさんに読んでもらう絵本は別ですが、オトナになったら、本は一人で読むものです。
でも、電車の「W読書」をわれながら気味悪いと思うと同時に、活字に癒される思いは、みんな同じなんだな・・・
とほのぼのとした気持ちになったりもします。
さて、引越しをして、通勤ラッシュ1時間半から抜け出した今、そんな状況もすっかり遠いことになりました。
今は、2本の電車を10分・10分で乗り継いでいくため、行きも帰りも、本を開くこともあまりなく、もっぱら車窓から景色を見てぼおっとしていることが多いです。
頭のなかは、空っぽにして。
ことに帰りは、会社を出たら、仕事のことをすっかり忘れるように努めています。
でも、たまに、重い気分だけ引っ張ってしまうこともある。
で、こないだの帰り道も、電車のドア際に立っていましたが、そんないまいち晴れない気持ちで空を見上げてから、ふと車内に顔をめぐらしたら、すぐ隣に立っている人が、私の目の前で本を広げていました。
読むつもりはなかったけど、位置的にとっさに目に飛び込んできた行。目を奪われました。
老人は、ゆっくりとうなずいて言った。
「それは、半魚人じゃよ。」
!!
なんてシュールな・・・。
ずっと読み続けていた流れからしたら、全然不思議じゃないのかもしれないけど、いきなりそれだけ見る立場にもなってみて!なんかえらく混乱させられるじゃないですか・・・
どんなお話なんだ?
って、考えますよね・・・。
結局、仕事の憂鬱はどこへやら、「半魚人」にガツンと脳天をやられたような衝撃を不意にくらって、すっかり気持ちは切り替わってしまい、
そんなことに狼狽する自分を、ふと遠くからの目で冷静に考えたら、暗い気分さえ、遠くのちっちゃいことに思え、
「半魚人」について思いながら、みょうに楽しい気分で家路についた帰り道でした。
やっぱり、活字の効力は大きいです。
気持ちの切り替えを、このように一瞬で行うこともあるのです。
老人と半魚人よ、ありがとう。
本は、内面生活を豊かにしますね。
・・・さて、くれぐれも、公共の場で本を広げる前には、周りのチェックも、抜かりなく!
でも、もしかしたら、あなたのその本が、見知らぬある一人の一日を明るくしているかもしれません。
毎日の半身浴も、苦に感じたことはない、なぜなら、ちょうどいい読書タイム。
帰りが遅くなった日でもそれはあまり変わらず、文庫本を持ち込んで、湯船で長々と過ごすのは、一日の終わりのささやかな幸せです。
以前1時間半かけて通勤していた時は、電車の中も読書スペースでしたが、
都内で暮らすようになってからは、電車に乗る時間が少なくなり、以前ほどは、本を読む時間もなくなりました。
でも満員の混んだ電車では、なかなか本を広げるのもつらく、いつもいつも読んでいるわけではありませんでしたけど。
しかし、ツワモノはいるもので、ぎゅうぎゅうの状態になりながらも、目の前にがんばって本をささげ持って読み続けている人がいたりする。
あまりに満員だと、人の本ではあるけれど、心ならずも一緒に読めてしまったりするんですよね・・・。
目の前にあるから。
以前、3本の電車を乗り継いで通っていた頃などは、朝のラッシュ時、電車ごとに3人の読書に付き合ったことがあります。
あくまで、一緒に読もうと思って見てる訳じゃないんですよ。
目の前に、あるから! ヽ(`◇´)/
その日は、最初の人は父と子の感動小説を読んでいました。海のそばに親子で住むというシチュエーションだったか・・・
が、たいへん印象に残っているのは、クライマックスにさしかかった時に、電車が乗換駅についてしまい、持ち主がぱたんと本を閉じてしまったこと!
うっ
て感じでしょう?
その続きがやたら気になり、いろいろ考えながら、2本目の電車へ乗り込む。
なんとか乗れて、ε=(。・д・。)フー・・・あっ、また目の前の人が、本を広げている。
今度も一緒に読めてしまう。
今度の人は、推理小説を読んでいました。
しかし、私の読むスピードが早いのか、彼女が遅いのか(若い女性でした)、私がそのページを読み終わっても、一向にめくってくれないのです。もう、最後のほうの謎解きに入っていて、あとちょっとで解けるのに、謎が!!
だいぶ自分も物語に入り始めると、人の本なのも忘れて、「早く早く!!」とじれじれしてしまう。
各電車には、それぞれ数十分しか乗らないので、それを思うと、なるべく早く読まないとじゃないですか。
でも、それがかなわないと、残念な気持ちがずっと、こうして続くんですね・・・。
その小説の結末も、結局わからなかった。
ところが、
こうして半端にストーリーを消化不良のまま、3番目の電車に乗り、また次の人が目の前で読書していたりすると、なんだかそろそろ、自分の頭の中も混乱をきたしてきます。
若い女性が、ハリー・ポッターの重いハードカバーを、一所懸命支え持って読んでいたりするんです。
今度は、魔法の世界かー。
割とすぐ、お話に入り込めるタイプなので、1時間前の自分はすっかり海辺で少年と暮らす父親だったのに、さっきはハードボイルドに謎解きをする探偵になっていて、・・・目まぐるしく対象になりきるのは、けっこう切り替えもたいへんなのです。
魔法使いにシフトするのも、楽ではありません。
みんな色んな本を読むものだ・・・
と、ほとほと感心します。
でも、自分が例えば無心に電車で本を読んでいたとして、背後の見知らぬ人が、同じような熱意で、自分の本に集中していたら、
こわいなあ!
と本気で思います。
いやですよね!そんなの!
だって、本を読むという行為は、周りにいくら人がいようが、完全に自分の世界に入れる、言ってみれば心の中のひとり旅。
あまり他人と分かち合うものではありません。
子供の頃に、おかあさんに読んでもらう絵本は別ですが、オトナになったら、本は一人で読むものです。
でも、電車の「W読書」をわれながら気味悪いと思うと同時に、活字に癒される思いは、みんな同じなんだな・・・
とほのぼのとした気持ちになったりもします。
さて、引越しをして、通勤ラッシュ1時間半から抜け出した今、そんな状況もすっかり遠いことになりました。
今は、2本の電車を10分・10分で乗り継いでいくため、行きも帰りも、本を開くこともあまりなく、もっぱら車窓から景色を見てぼおっとしていることが多いです。
頭のなかは、空っぽにして。
ことに帰りは、会社を出たら、仕事のことをすっかり忘れるように努めています。
でも、たまに、重い気分だけ引っ張ってしまうこともある。
で、こないだの帰り道も、電車のドア際に立っていましたが、そんないまいち晴れない気持ちで空を見上げてから、ふと車内に顔をめぐらしたら、すぐ隣に立っている人が、私の目の前で本を広げていました。
読むつもりはなかったけど、位置的にとっさに目に飛び込んできた行。目を奪われました。
老人は、ゆっくりとうなずいて言った。
「それは、半魚人じゃよ。」
!!
なんてシュールな・・・。
ずっと読み続けていた流れからしたら、全然不思議じゃないのかもしれないけど、いきなりそれだけ見る立場にもなってみて!なんかえらく混乱させられるじゃないですか・・・
どんなお話なんだ?
って、考えますよね・・・。
結局、仕事の憂鬱はどこへやら、「半魚人」にガツンと脳天をやられたような衝撃を不意にくらって、すっかり気持ちは切り替わってしまい、
そんなことに狼狽する自分を、ふと遠くからの目で冷静に考えたら、暗い気分さえ、遠くのちっちゃいことに思え、
「半魚人」について思いながら、みょうに楽しい気分で家路についた帰り道でした。
やっぱり、活字の効力は大きいです。
気持ちの切り替えを、このように一瞬で行うこともあるのです。
老人と半魚人よ、ありがとう。
本は、内面生活を豊かにしますね。
・・・さて、くれぐれも、公共の場で本を広げる前には、周りのチェックも、抜かりなく!
でも、もしかしたら、あなたのその本が、見知らぬある一人の一日を明るくしているかもしれません。
電車の中で人が読んでる本のタイトルって気にかかるんですよね。
駅構内の本屋さんは、通勤中にさくっと読める「電車本(文庫本)」コーナーを作ってる所もあるみたいで...。
勿論何も聞かずにカバーかけてくれます。(苦笑)
多種多様な人々が訪れる駅なんて、意外といちばんオールマイティな品揃えかもしれませんね!
部屋の本棚を見ればその人の人格がわかるとか言いますが、実際電車の中でも、カバーなしの本読んでたら、ちょっと個人情報流出気味、なとこありますよね~
私は最近連城三紀彦をはじめて読みとても気に入りました。
連城三紀彦・・・私は読んだことがありません。。本屋で探してみますね! いつも、お気に入りばっかりを読み返してしまうので、いいチャンスありがとうございます!
私のお気に入りは、谷崎潤一郎がなんといってもトップです。(一目瞭然な好みですね、恥ずかしい!!)
外国ものでは、サン・テグジュペリが断然。『夜間飛行』は、永遠の名作です。。
あとは中上健次、宮本輝さん、山田詠美さん(なぜかご健在な方たちにはさん付けしたくなる)も、基本ワードローブの作家です。全作制覇ではないけれど。
最近は、内容を理解しきれないながらも、黒木亮さん『トップ・レフト』にはまり、何度となく熟読中。あれのおかげで、フジ・ライブドア戦の中身を身近に感じられています・・・雰囲気だけ
文のリズムや切れ味の良い、米原万里さんも楽しいですねー。
今は、三島由紀夫を読み返してみたいと思っています。(といいながらも、一作読むと、しばらく息苦しくなって、また長らく放っておいてしまうというパターン続きなんですが・・・(^▽^;)
> 抜かりなく!
そうそう。
本も気をつけたほうがいいけど携帯メールはもっと
気をつけるべきだと思います。
以前、朝の通勤電車で斜め前に立ってるサラリーマ
ンのメールが、(読む気はないのに)目に入りました。
『明日は会社のゴルフだから賭けに勝ったらお店に
行こうかな』
結構、身なりの良い人だったのですが...
「お店」・・・。でもどんなお店か、それだけじゃ正確にはわからないですよ、まだ~(^-^;
私も超ラッシュに目の前の人の携帯メール見れちゃうことがありました。。
「昨日はありがとう。今朝はちゃんと起きられた?風邪、はやく良くなるといいね。今夜は遅くならないようにします。」
・・・本人を見ると、厚いめがねがガチガチに真面目そうな印象をいっそう強くしている小作りな男性が、幸せそうな微笑みを浮かべていました。
ひとごとながら、恋愛中っていいわーと思い、なんだか温かい気持ちになったものです。。
もしかして、実はそんな単純な話じゃなかったりするのかもしれませんが。。
とにかく個人的なメールは、個人的過ぎる内容が多いから、他人には見られたくないですよね!