ケイト・モスが表紙&特集の、最近のVOGUE PARIS。
東京日仏学院の図書館で、見ました。
久しぶりに見たフランスの雑誌は、ほわほわの足取りをガツンと正すような、パンチの利いた写真でいっぱい。
普段見慣れた日本の女性向け雑誌の写真の多くが、服や小物、またはメイクなど、ヒトの外側のオプションにしとやかに焦点を当てているのに比べて、VOGUE PARISのカメラ、そしてページの中で踊る女性たちは、内面の情熱を伝えよう、伝えようと一心不乱になっている感じ。
そのパワーに、ひきこまれる。
気取らず、うれしいことも辛いことも隠さず、すべてありのままに。
身につけるものは、そんな本人の魅力をより引き立てるものであり、主役ではない。
だから、女性と服とが一体になった瞬間が、いちばん美しい。
まず女性そのものが躍動感ある表情に輝き、服やジュエリーがそのあとに忠実についていく。
それに比べたら、きちんと「型どおり」な自分が、四角いガラスに閉じ込められているかのように窮屈に、一瞬思えてしまいました。・・・いや、それでいいんですけどね、ここは日本で、私は今、会社帰りの普通のOLだから
モードを生み出す人々に選ばれし「女」たち。
それは、視線からほとばしる、人生への攻めの姿勢。
シャネルの、ヴァネッサ・パラディ。振り返った強い目つき。
TOM FORD アイウェアの、目と鼻筋がアップになったモデルの眼光。
そして、ケイト・モス・・・
ページをめくるたびに、目を吸いよせる彼女の存在感が、在る。
「ケイトもどき」のモデルがケイトを模した格好で登場すると、差が歴然。
いとも自然に見えるケイト本人の輝きが、いかに高度にムダをそぎ落としているか、強烈にわかる。
綺麗に着飾り過ぎない、素をさらしているところに輝きの秘密がある。
彼女だから、お行儀悪い格好も、乱れた裾も襟元も、個性になる。彼女の身のこなしが、その魅力的な乱れを表現した結果だから。
恋愛、別れ、さまざまなスキャンダル、そしてゴシップ。
もみくちゃにされて、波乱万丈を乗り越えて、それでも彼女のたたずまいは変わらない。
あんなこともあった。それでも歩いていくわ。だって、生きているんだもの。
というように、けっして強がっているわけでなく、生命力のままに、そうある彼女。
底力のあるまなざしは、バカラのグラスがもつ重く強い光を連想させます。
表情には、傷ついた思い出の名残が見えるけれども、その憂いのムードは、彼女を引き立てるアクセサリーのような、味わい深さ。
うん、女は、傷あとがあればこそ、美しくなくちゃ。
素晴らしい企画を、堪能しました。
写真の持つパワーって、すごいですよね・・・。
このVOGUEで、ほんとにそう思いました。
ここまで、女性の格好良いアグレッシブさを引き出すんだもの。
他にも、ジェマ・ウォードの、渾身のポージングが衝撃的だった。
かわいらしいイメージしかなかったけど、彼女にも、こんな極限の表情があったんだ・・・と、呆然&うっとり。
真に「女」を生み出すフランスが求める女の美は、けっしてただの「お人形さん」じゃない。
人間らしさを情熱的に咲かせる、欠点をも包み隠さない、堂々たる心意気が生み出す、感情の奔流のようなものが芯にあります。
お澄まししたフランスのイメージを愛する気持ちも解るけれど、私がフランスを好きな理由は、この人間の感情の迸りがごく自然に溶け込んでいる文化にあります。
ちょっとのことで参ってなんかいられない。とにかく好きなようにやってみようか?周りの顔色なんか(って、イコール自分自身の目のことだったりするけど)、気にしないで・・・。
そんな気持ちにさせてくれる。
(写真は、今回の号ではないのですが☆)
東京日仏学院の図書館で、見ました。
久しぶりに見たフランスの雑誌は、ほわほわの足取りをガツンと正すような、パンチの利いた写真でいっぱい。
普段見慣れた日本の女性向け雑誌の写真の多くが、服や小物、またはメイクなど、ヒトの外側のオプションにしとやかに焦点を当てているのに比べて、VOGUE PARISのカメラ、そしてページの中で踊る女性たちは、内面の情熱を伝えよう、伝えようと一心不乱になっている感じ。
そのパワーに、ひきこまれる。
気取らず、うれしいことも辛いことも隠さず、すべてありのままに。
身につけるものは、そんな本人の魅力をより引き立てるものであり、主役ではない。
だから、女性と服とが一体になった瞬間が、いちばん美しい。
まず女性そのものが躍動感ある表情に輝き、服やジュエリーがそのあとに忠実についていく。
それに比べたら、きちんと「型どおり」な自分が、四角いガラスに閉じ込められているかのように窮屈に、一瞬思えてしまいました。・・・いや、それでいいんですけどね、ここは日本で、私は今、会社帰りの普通のOLだから
モードを生み出す人々に選ばれし「女」たち。
それは、視線からほとばしる、人生への攻めの姿勢。
シャネルの、ヴァネッサ・パラディ。振り返った強い目つき。
TOM FORD アイウェアの、目と鼻筋がアップになったモデルの眼光。
そして、ケイト・モス・・・
ページをめくるたびに、目を吸いよせる彼女の存在感が、在る。
「ケイトもどき」のモデルがケイトを模した格好で登場すると、差が歴然。
いとも自然に見えるケイト本人の輝きが、いかに高度にムダをそぎ落としているか、強烈にわかる。
綺麗に着飾り過ぎない、素をさらしているところに輝きの秘密がある。
彼女だから、お行儀悪い格好も、乱れた裾も襟元も、個性になる。彼女の身のこなしが、その魅力的な乱れを表現した結果だから。
恋愛、別れ、さまざまなスキャンダル、そしてゴシップ。
もみくちゃにされて、波乱万丈を乗り越えて、それでも彼女のたたずまいは変わらない。
あんなこともあった。それでも歩いていくわ。だって、生きているんだもの。
というように、けっして強がっているわけでなく、生命力のままに、そうある彼女。
底力のあるまなざしは、バカラのグラスがもつ重く強い光を連想させます。
表情には、傷ついた思い出の名残が見えるけれども、その憂いのムードは、彼女を引き立てるアクセサリーのような、味わい深さ。
うん、女は、傷あとがあればこそ、美しくなくちゃ。
素晴らしい企画を、堪能しました。
写真の持つパワーって、すごいですよね・・・。
このVOGUEで、ほんとにそう思いました。
ここまで、女性の格好良いアグレッシブさを引き出すんだもの。
他にも、ジェマ・ウォードの、渾身のポージングが衝撃的だった。
かわいらしいイメージしかなかったけど、彼女にも、こんな極限の表情があったんだ・・・と、呆然&うっとり。
真に「女」を生み出すフランスが求める女の美は、けっしてただの「お人形さん」じゃない。
人間らしさを情熱的に咲かせる、欠点をも包み隠さない、堂々たる心意気が生み出す、感情の奔流のようなものが芯にあります。
お澄まししたフランスのイメージを愛する気持ちも解るけれど、私がフランスを好きな理由は、この人間の感情の迸りがごく自然に溶け込んでいる文化にあります。
ちょっとのことで参ってなんかいられない。とにかく好きなようにやってみようか?周りの顔色なんか(って、イコール自分自身の目のことだったりするけど)、気にしないで・・・。
そんな気持ちにさせてくれる。
(写真は、今回の号ではないのですが☆)
フランス版ヴォーグっていつも素敵ですね。
話はそれますが、
神楽坂、、私も職場があったので2000年から3年弱ほど通いました。
その後会社が日比谷に移ったのですが、神楽坂時代を懐かしみ、事あるごとに神楽坂で集まっています。
みんなそれぞれの道を歩き出しても、神楽坂で会う集いは楽しいです。
帰ってきてしまう街、というお気持ちは、よくわかります・・・私も、もし引っ越しても、きっとそうなってしまうでしょう!
仏版VOGUEはとにかく突き抜けてますね☆
ケイトもジェマちゃんも、ヌードふつうに見せてるし。服がなくてもファッション!こうなると、ファッション写真というか、、、つまりは全てが勝負どころなんだなって思います。全部見せても魅力的って女性は、ほんとクールですね!
最近目にしたケイト・モスは相変わらず魅力的。
あ、まだこんなにキレイなんだぁ、って思ったくらいに。
芯のある自分を持って、経験を糧にしてきたヒトなんだなって、miさまの感想から、憧れつつそんな感情が込み上げてきました。
とてつもなくミニマムな装いなのに、オーラがあふれ出す。
特集見るまでは、実はそんなに注目してなかったのですが。
やはり、いったん見入ってしまうと、あの魅力にずーんとはまってしまいました!!