今週中は、休暇でした。
日中お部屋で一人、好きなように過ごしていました。
幸せ。
夜は外に出かけたり、仲良しが訪ねてきてゴハンをつくっ(てもらっ)たり
昼間は、ひなたぼっこして本を読んだり、昼寝してみたり
ところで、そんな中広げている、実家からまたいくつか発掘してきた本のひとつが、なんとなく示唆的。
それは、懐かしい、河原温の展覧会のカタログ。
『全体と部分 1964-1995』
「カタログ」とは書いてあっても、その呼び方が正しいのかどうか・・・。
作品の写真も出ていますが、主には、彼の作品についての、専門家の評論集のようです。
1998年に、東京都現代美術館にて開催の展覧会を見に行って、買ってきたもののよう。
そんなふうに、もう詳しいことを忘れてしまったくらいなのですが、中を見ていくうちに、その展覧会で受けた感動を、しみじみ思い出してきました。
美術というと、絵とか造形とかがもっともわかりやすい形で認識されていると思いますが、
当時の私が、この展覧会をとても印象的だと思ったのは、ここにおいては、その形が、
目の前に具体的に示された「何か」ではなく、目には見えない「時間」に続いている壮大なものだったからでした。
河原温の作品は、「date painting(日付絵画)」、つまり日々の日付、気温などを旅した各地で決まった大きさのキャンバスに日々描き続ける、というものだったり、
または、たった一言だけを記して、日々遠い地から、また遠くへと投函された絵葉書だったり、
それらが連続して蓄積された様子を、ある時一つ所に一まとまりに提示することによって、
≪時間≫と≪空間≫に意識を向けさせるものです。
コンセプチュアル・アートという言葉さえ、おぼろげにしか認識がなかったまま、展覧会に行った時、まずその膨大な日付絵画と絵葉書etcの連なりに、途方もない衝撃を受けました。
まさに、『継続は力なり』です。
継続した時間を、本来見ることは出来ないけれど、毎日同じことを違う場所で続けた彼の痕跡に、
我々は「時間」の輪郭を感じ取るのです。
1964年、まだ生まれてない。
19××年、あの時、こんなことがあったなー、その時も、その後にあんなことが起こった時も、河原さんは、変わらずにこの日付絵画を作り続けていたのね。。
・・・なんていう感想が正しいのかどうかわかりませんが、私はまずそんなかたちで、過ぎ去った時間を自分の中で振り返ってしまった。
時は、無為に過ぎていくような時でも、絶対何かをもたらしている。
見る人に、そこに思いを馳せさせることが、この作品の力。
すごいと思いました。
とにかく、あの広い美術館の中に、静かな迫力でもって連なり、展示されているストイックな作品たちに、圧倒されました。
この休暇中、あまりいろんな人と話さず、いつになく静かな時間を過ごしました。
オフィスの中ではあまり気付かない、太陽の位置・傾き方、空気の冷え方の変化を目の前に見つつ・・・
そんな「時の流れ」を、久しぶりに肌でじっくりと感じ味わった、貴重な日々だったと思います。
最近、ちょっとだけ忙しかったから。
そんなことを、このカタログを読み返しながら、考えました。
日中お部屋で一人、好きなように過ごしていました。
幸せ。
夜は外に出かけたり、仲良しが訪ねてきてゴハンをつくっ(てもらっ)たり
昼間は、ひなたぼっこして本を読んだり、昼寝してみたり
ところで、そんな中広げている、実家からまたいくつか発掘してきた本のひとつが、なんとなく示唆的。
それは、懐かしい、河原温の展覧会のカタログ。
『全体と部分 1964-1995』
「カタログ」とは書いてあっても、その呼び方が正しいのかどうか・・・。
作品の写真も出ていますが、主には、彼の作品についての、専門家の評論集のようです。
1998年に、東京都現代美術館にて開催の展覧会を見に行って、買ってきたもののよう。
そんなふうに、もう詳しいことを忘れてしまったくらいなのですが、中を見ていくうちに、その展覧会で受けた感動を、しみじみ思い出してきました。
美術というと、絵とか造形とかがもっともわかりやすい形で認識されていると思いますが、
当時の私が、この展覧会をとても印象的だと思ったのは、ここにおいては、その形が、
目の前に具体的に示された「何か」ではなく、目には見えない「時間」に続いている壮大なものだったからでした。
河原温の作品は、「date painting(日付絵画)」、つまり日々の日付、気温などを旅した各地で決まった大きさのキャンバスに日々描き続ける、というものだったり、
または、たった一言だけを記して、日々遠い地から、また遠くへと投函された絵葉書だったり、
それらが連続して蓄積された様子を、ある時一つ所に一まとまりに提示することによって、
≪時間≫と≪空間≫に意識を向けさせるものです。
コンセプチュアル・アートという言葉さえ、おぼろげにしか認識がなかったまま、展覧会に行った時、まずその膨大な日付絵画と絵葉書etcの連なりに、途方もない衝撃を受けました。
まさに、『継続は力なり』です。
継続した時間を、本来見ることは出来ないけれど、毎日同じことを違う場所で続けた彼の痕跡に、
我々は「時間」の輪郭を感じ取るのです。
1964年、まだ生まれてない。
19××年、あの時、こんなことがあったなー、その時も、その後にあんなことが起こった時も、河原さんは、変わらずにこの日付絵画を作り続けていたのね。。
・・・なんていう感想が正しいのかどうかわかりませんが、私はまずそんなかたちで、過ぎ去った時間を自分の中で振り返ってしまった。
時は、無為に過ぎていくような時でも、絶対何かをもたらしている。
見る人に、そこに思いを馳せさせることが、この作品の力。
すごいと思いました。
とにかく、あの広い美術館の中に、静かな迫力でもって連なり、展示されているストイックな作品たちに、圧倒されました。
この休暇中、あまりいろんな人と話さず、いつになく静かな時間を過ごしました。
オフィスの中ではあまり気付かない、太陽の位置・傾き方、空気の冷え方の変化を目の前に見つつ・・・
そんな「時の流れ」を、久しぶりに肌でじっくりと感じ味わった、貴重な日々だったと思います。
最近、ちょっとだけ忙しかったから。
そんなことを、このカタログを読み返しながら、考えました。
河原温の作品って美術館で他の作家の作品の中に
一枚だけぽつんとあっても「何?これ??」と
思い通りすぎてしまわれがちですが、
画集として全体を通して観ると「時の流れ」を
これだけ感じさせる作品はないと痛感します。
単純故に。
だらだらと連休過ごしそうでしたが
このエントリ読んで思い変りました!
ありがとうございます。感謝m(__)m