実家の母親からしきりに連絡があるが無視し続けている。
実弟とその細君が子息令嬢の七五三と母親の古希をあわせ祝うため実家に集まっている。この機に、慈母が愚息を心配する体でもって私のこと糾弾するつもりなのである。己の不徳を恥じよと圧力をかけてくるのである。これは機会があるごとに繰り返されてきた。遠まわしながら直截に、不惑を超えながらいまだ家庭を持っていないこと、長らく親類縁者に礼を逸していること、親が無理して私立大学まで通わせたのにもかかわらず社会の底辺にあり低額所得者のままであること、その他いろいろ、同級生のA君はどうだ、B君はこうだ、C君などこうなのだと慇懃丁寧にネチネチと責め立てるのが常套なのである。数年前までは自分が悪いと観念し叱責に甘んじ自分を恥じいっていた。だがもう我慢できぬ。理のあることを正々堂々と述べたて当方の非を責め立るのは我が母親ながらまことに立派ではある。まったくそのとおりで二の句が継げぬ。だが結果、髷を切られ白州に畏ませられる私の心を想像したことがあるのだろうか。有るはずがない。母上様にとって弾劾は正義なのである。それが薩摩の風土なのであろう。
母上様が還暦だからと実家に帰ったことがある。長女は何しに帰ってきたのと聞き、母上は親類縁者に失礼がないようと用意した土産を持たせ格式に従って廻る順番を指図し(水呑百姓にも格があるらしい)、目付けに実弟をつけて私を送りだした。私は母上の意向なればと素直に従った。この時私は実家だからとて心休まる暇も無いのをようやく思い出し、我ながら人の良いのを自嘲するしかなかったのである。
早くに連れ添いを失い、母上様は苦労した。その苦労を察するといたわってやりたいと思う。母ひとり苦労を背負いながら、薩摩女の習いで長男であるからと私を立て、次兄長女とは別格に扱った。上座に座らせ肴も一品多かった。
だが私も幼かった。私は乳の臭いを思い出せぬ。当たり前のようにハグされる実弟や手ずから家事や料理を教わる長女をただ眺めていたのを覚えている。
小学生だった頃、兄弟で野山に遊び帰りが暗くなったことがあった。おどろくべきことに母上様は消防団を動員し髪を振り乱しながら我らを迎えたのである。先頭の私を払いまっさきに実弟を抱き、涙を流しながら長女の髪をなでた。親類縁者もやれやれ人騒がせな事だと母上様と紅顔の少年少女を囲んだ。私はひとり円の外側に立ち、地域を巻き込んだ騒ぎになっていること、そしてそれを外野として目撃していることが不思議な心持であった。今思えばそのときから私にとって全てがアウェイで血のつながりも紙上の戸籍と達観したのではないかと思う。
実弟とその細君が子息令嬢の七五三と母親の古希をあわせ祝うため実家に集まっている。この機に、慈母が愚息を心配する体でもって私のこと糾弾するつもりなのである。己の不徳を恥じよと圧力をかけてくるのである。これは機会があるごとに繰り返されてきた。遠まわしながら直截に、不惑を超えながらいまだ家庭を持っていないこと、長らく親類縁者に礼を逸していること、親が無理して私立大学まで通わせたのにもかかわらず社会の底辺にあり低額所得者のままであること、その他いろいろ、同級生のA君はどうだ、B君はこうだ、C君などこうなのだと慇懃丁寧にネチネチと責め立てるのが常套なのである。数年前までは自分が悪いと観念し叱責に甘んじ自分を恥じいっていた。だがもう我慢できぬ。理のあることを正々堂々と述べたて当方の非を責め立るのは我が母親ながらまことに立派ではある。まったくそのとおりで二の句が継げぬ。だが結果、髷を切られ白州に畏ませられる私の心を想像したことがあるのだろうか。有るはずがない。母上様にとって弾劾は正義なのである。それが薩摩の風土なのであろう。
母上様が還暦だからと実家に帰ったことがある。長女は何しに帰ってきたのと聞き、母上は親類縁者に失礼がないようと用意した土産を持たせ格式に従って廻る順番を指図し(水呑百姓にも格があるらしい)、目付けに実弟をつけて私を送りだした。私は母上の意向なればと素直に従った。この時私は実家だからとて心休まる暇も無いのをようやく思い出し、我ながら人の良いのを自嘲するしかなかったのである。
早くに連れ添いを失い、母上様は苦労した。その苦労を察するといたわってやりたいと思う。母ひとり苦労を背負いながら、薩摩女の習いで長男であるからと私を立て、次兄長女とは別格に扱った。上座に座らせ肴も一品多かった。
だが私も幼かった。私は乳の臭いを思い出せぬ。当たり前のようにハグされる実弟や手ずから家事や料理を教わる長女をただ眺めていたのを覚えている。
小学生だった頃、兄弟で野山に遊び帰りが暗くなったことがあった。おどろくべきことに母上様は消防団を動員し髪を振り乱しながら我らを迎えたのである。先頭の私を払いまっさきに実弟を抱き、涙を流しながら長女の髪をなでた。親類縁者もやれやれ人騒がせな事だと母上様と紅顔の少年少女を囲んだ。私はひとり円の外側に立ち、地域を巻き込んだ騒ぎになっていること、そしてそれを外野として目撃していることが不思議な心持であった。今思えばそのときから私にとって全てがアウェイで血のつながりも紙上の戸籍と達観したのではないかと思う。