その歴史を感じる暖簾の向こうはガラスの引戸で、いつも中は客でいっばいである。
俺は前の通りから覗ける一番手前のカウンター席にしか座らないことにしている。理由はない。だが、そのせいで年に何回かしか入ることができない。
今日は珍しく俺の指定席があいていたので迷わずその暖簾をくぐった。刺身はこの店がいちばん旨い。牡蠣も食いたかったが、今日は無かった。
だが、給仕をするのがスペイン語の娘であったのは僥倖であった。永らく会っていなかったので「スペイン語の娘だよね?」と確認したら「覚えていてくれたんですね」と笑顔を返してくれた。彼女も私のことを覚えていてくれたようだ。「オラ」と挨拶すると「オラ」と返してくれた。可愛い娘である。
一年ほど前だろうか。彼女がアルバイトを始めた頃、スペイン語を勉強していると話してくれたので俺はマカロニウェスタンでよくある挨拶「アディオス!アミーゴ!」と言った。彼女はビクッとして後ずさった。別れの挨拶だったからだ。俺は自らの過ちに気付き、謝った。「びっくりしました」と彼女は笑った。
酒と肴に酔い、いそがしく立ち回る娘の姿は眼福で、俺は暖かい時間を楽しんだ。
帰り際、スペイン語の娘におやすみなさいと「ブエノスディアス」と声をかけた。娘は、あらブエノスディアス…と微妙な表情をした。可愛い。
あとからスマホで検索したら「ブエノスディアス」はおはようの意味であった。
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