2011年3月11日におきた、東日本大震災で、天井が落下してしまい、しばらく、営業していなかった、近くの映画館が、
最近になって、立て直されて、営業を始めたので、 『 風立ちぬ 』 を、家族で観てきました
関東大震災のシーンを観て ……
映画館の暗闇の中で、まったくひとりっきりで、孤独に陥っていた脳裏の、片隅に、追いやられていた、記憶の断片が、
まざまざと、蘇ってきて … 火の海になってしまった、あの時の、気仙沼の映像が、瞼の前に、映された映像と、ぼんやり、重なった。
あの時、自分は、月日をかけて、大事に、育てられてきた、ビニールハウスや畑が、
真っ黒い、得体の知れない巨大な津波に、飲み込まれていくのを、ただ、テレビで、観ていることしか、できなかった。
そんな、自分を、思い出し、自分の無力感に、打ちひしがれ、涙が、溢れ出た。
3.11以後、わたしは、震災のことで、感情を、あらわにして、泣いた記憶が、ない。
今、思えば、あの時は、泣いている余裕が、なかった、といったほうが、正しいかもしれない。
あの時の、反動で、やっと、今になって、正常な心理状態に、しぜんに、戻る兆しが、見えてきたのだろうか。
なりふりかまわず、泣きたい時は、泣いていいんだ、と、この映画が、わたしに、耳打ちをしてきたような気がして、
嗚咽が、口から、洩れそうになるぼど、激しく、感情が揺さぶられた。
菜穂子が、二郎と高原にいて、突然の大雨が、降ったあと、後ろを振り返って、指をさした先に、
虹が出ているのを、二郎に教えたとき、菜穂子が、
「 ( 美しいものを、見られて) 生きていて よかった 」
というようなことを、言った。その時、菜穂子にとっては、雨上がりに、ほんの、一瞬、現われる虹、であったが、
二郎にとっての、それは、美しく、大空を飛ぶ、ひこうき、ではなかったか。
この場面を、暗がりの映画館で、観ていた、わたしも、本能的に、菜穂子と、同じ思いを、味わうことができた。
なにげない、それでいて、一瞬の、はかない虹の美しさに、なんとも、言えず、ただ、ただ、涙が、溢れてきて、
生きることの意味の、なんて、単純明快な、真実に、気付かされた。
まるで、盲目だった、わたしに、ひとすじの光りが、さして、今まで、見えなかった、視界が、ひらけたように。
それが、どんなに、わたしの心に、響いて、勇気づけられたことか。
カストルプが、二郎に語る場面に、この映画の、大きな主題が、表われていたように思う。
「 センソウヲ ワスレル。 マンシュウヲ シンリャク シタコトヲ ワスレル。 … 」
しかし、これらのことは、決して、忘れてはならないことであるのは、誰も、承知のことだろう。
それでも、あえて、こうして、忘れるふりをして、心の片隅に、大事に、しまっておかなければ、
戦前戦中の人々は、あの、苦難の時代の、恐ろしく、激しい流れを、生きのびてはいけなかったのだろう。
このことは、そのまま、2013年の、今の日本に、不気味に、シンクロしている。
だが、それでも、この映画は、ポール ・ ヴァレリー の詩の一節から、
「 “ Le vent se lève, il faut tenter de vivre ” 」
「 風立ちぬ いざ 生きめやも ( 風が吹いてきた さあ なんとか生きてみよう ) 」
と、菜穂子と二郎に、吹きつけるように、映画館の中で、現代に生きる、わたしたちにも、向けて、
たくさんの、いろいろな風を、吹かせて、何度も、力強く、わたしたちを、励まし続けているのだ。
人間が、生きる、ということは、まさに、矛盾だらけだ。
自分の夢を、追いかけ、まっとうに、生きようとしている、ごく、ふつうの人間こそが、そうやって、生きようとすれば、するほど、
知らないうちに、いつの間にか、狂気の勢力に、巻き込まれて、負の歴史を、動かすようになってしまう。
そんな、悲劇の中に、ありながら、それでも、そこに、生きていく意味が、あるのか、という、永遠の問いかけが、
静かに、わたしたち、観客の心に、訴えかけてきたのを、わたしは、認めずにはいられなかった。
最初の場面に、出てきた、巨大な爆撃機に、一瞬、ナチスの逆鉤十字と、見間違ってしまいそうな、
紋章が、描かれているが、よく観ると、ドイツ騎士団や、ナチスの鉄十字章に、よく似ていることに、気付いた。
あれは、いったい、何を、意味しているのだろうか。
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