安徳天皇 御陵(阿彌陀寺陵)
山口県下関市阿弥陀寺町 赤間神宮
安徳帝御入水処碑
山口県下関市みもすそ川町
天皇は、初代 神武天皇から現在の今上天皇まで、126代に渡り今なお連綿と続いていますが、回りの臣下や時勢、様々な影響により寿命を縮めたり、崩御された天皇がおられます。
飛鳥時代、朝廷で専横を極めた蘇我馬子により放たれた刺客、東漢駒(やまとのあやのこま)により暗殺された崇峻天皇はそのはじまりです。
次に挙げられるのが崇徳天皇。
平清盛が異例の地位へと昇るきっかけとなる保元の乱。
この大乱の根本は【この世は わしの世だ。】と豪語した白河天皇以降、鳥羽、崇徳、近衛〜そして後白河と、何代にも絡む皇位継承問題に藤原摂関家の後継者争いが加わるという非常に根深い暗闘が続いたことが、清盛の平家に付け入る隙を与えたことが後の平家隆盛に繋がります。
乱を起こした崇徳上皇は讃岐に流され、やがて怨霊となる悲運の帝でした。
この保元の乱、やがて起こる平治の乱。
二つの大乱により台頭した平家は帝を凌ぐ権力を手にします。
安徳天皇は平家と強い関わりを持って生誕されたことから、壇ノ浦の戦いで平家が滅びの道を辿る際に平清盛亡き後、一族の長(おさ)の立場であった清盛の妻〜二位尼に抱かれ、海中に沈み崩御されます。
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