大須観音 真福寺~寶生院~
愛知県名古屋市中区大須
普門殿
女人梵鐘(華精の鐘)
生命を宿し、生み出す女性と子のために、
女性のみからの寄進で鋳造された慈愛の鐘
大都市 名古屋市内最大の門前町を形成する大須観音は、その開基は南北朝時代にさかのぼります。
1333年 元弘3年、天皇による治世を復活させた後醍醐天皇は、尾張国大須郷(現在の岐阜県羽島市)に北野天満宮の別当寺として造営を命じます。
後醍醐天皇より神託を賜った能信上人が真福寺の一院として寶生院【ほうしょういん】を開山したことが起源とします。
やがて伽藍が整備されて行き、天皇家の勅願寺となり、大阪の四天王寺から観音菩薩を移して本尊としました。
尾張国の外れの官寺に過ぎなかった寶生院が現在の姿に変えるのは、1612年 慶長17年、徳川家康が打ち出した新たな名古屋城の築城とともに、城下町自体を清洲から引っ越すという【清洲越し】が号令されてからでした。
寶生院が現在の地に移ると、地名も大須に改められ、俗称である大須観音という名が一般的になり、次第に門前町が形成されました。
写本として唯一現存する古事記や古代から伝わる経典など、貴重な古文書の数々は、数々の伽藍を犠牲にしながら太平洋戦争の名古屋空襲を乗り越え、現在も大須文庫に伝わります。