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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 30 初陣、松平元康 2


寺部城跡
愛知県豊田市寺部町



初陣の陣中で三河の老臣すら唸らせる采配をみせた元康君、支城を落として後詰めの恐れを無くし、本城である寺部城を攻め落とした。

凱旋した元康君の様子に今川のお館殿も気を良くし、もとの所領のうち、山中の地、三百貫を返し、腰刀を差し上げた。

元康君は休む間もなく出陣を命じられ、織田方に味方している広瀬、伊保などの城を攻め、伯父にあたる水野下野守信元と戦われた。

戦における指揮や機を捉えた駆け引きも、これは生まれながらの勇略であると三河の老臣たちは感服した。

このころ、岡崎の老臣たちは、しきりに駿府に赴き、以前の領地を返してほしいと懇願しているが、今川のお館殿は、

〜来年にも尾張へ軍勢を進めようと考えておる。国境を確かめてから引渡そう。それまでは預かっておく。〜
と返事なさったので、老臣たちは仕方なく帰っていった。

永禄二年三月に、北の方(瀬名姫)が男児をお産みになられた。

後に三郎信康君と呼ばれる方である。



寺部城〜
大河 矢作川沿いの要害。家康公は初陣で戦勝して凱旋。
後に尾張徳川家の家老、渡辺半蔵守綱が陣屋を築く。











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