見出し画像

日本歴史紀行

歴史 今日の出来事 2月21日 延暦18年 2月21日 (799年4月4日) 皇位簒奪を阻止した和気清麻呂公 逝去


和気清麻呂公像
京都市上京区 護王神社


延暦18年2月21日(799年4月4日)
皇位簒奪を阻止した和気清麻呂公 逝去


和気清麻呂 公像

京都市上京区桜鶴円町 護王神社


桓武天皇に平安京への遷都を奨めた忠臣 和気清麻呂は、楠木正成と並び皇統断絶の危機を救った忠臣と称されています。


奈良時代末期、女帝 称徳天皇の寵愛を受けていた僧〜弓削 道鏡【ゆげの どうきょう】が皇位すら狙い、宇佐八幡の神託と称して皇位につこうとしたとき、寵愛はしても、さすがに皇位を譲ることは躊躇した称徳天皇に神託を聞くことを命じられた清麻呂は、道鏡が皇位を望むことは、神霊もこれを激怒すとし、さらに【臣下が皇位に就いたこと、未だこれなし。】と声高に天皇に訴えて道鏡の野心を退けました。


そのため,道鏡の怒りを買って大隅に流され、   
別部穢麻呂(わけべの きたなまろ)などと改名させられ、配流の道中、道鏡の放った刺客に命すら狙われるも臆せず、雌伏の月日を送りました。


770 年 宝亀元年、女帝 称徳天皇が崩御すると状況は一変し、権勢を謳歌していた道鏡は即位した光仁天皇に下野国(現在の栃木県)の下野薬師寺別当へと命じられます。(体のいい配流)となり、道鏡は間もなく死に、道鏡の子らは捕らえられて罪人として土佐へ流されます。


こうして道鏡の一派が朝廷から一掃されると、清麻呂は光仁天皇により京に召し返されて和気朝臣の姓を賜わり,和気清麻呂と名乗ります。


清麻呂は、長岡京の造営が停滞しているため、桓武天皇に葛野 (かどの~現在の京都市 ) への遷都を建議し、桓武天皇も和気清麻呂の進言を容れ、天皇は狩りを名目に葛野へ出掛けて視察し、ついに平安京遷都を決意します。安心した清麻呂は平安京遷都から5年が経った799年、 延暦18年2月21日に66歳で没しました。



 

ランキング参加しています。応援お願い致します!

コメント一覧

aoikitakaze4390031
@kikokikonoriko19888888 身に染みるコメントありがとうございます。

昭和天皇は若き皇太子時代にイギリスに赴き、エリザベス女王の祖父になられる当時のジョージ5世国王から王とは、君主とは何かを学んだそうです。
イギリスに格別な想いのある天皇の御心は、当時の軍首脳陣にはわからないでしょうね。
あの大戦に踏み出した軍の暴挙と昭和天皇の苦悩を今後書いていくつもりです。
追記
ぼくが皇居を訪ねた当時、清麻呂公像はお引越し中でした。
もしかしたら引っ越しされたかも知れません。
kikokikonoriko19888888
小学校に入学前から、、、父からも、母からも

おりに付け「和気清麻呂」の話は聞きながら育ちました。
皇居の近くにも像が立っていますよね。
女帝の怖さというのは
西洋でも同じことが起きていますよね、、。
国を危機に落とす女帝と反対に、

エリザベス女王は「君臨すれども統治せず」という

国に、宗教まがいの独裁者が女帝を惑わす隙の無い、
女王陛下の賢さと、
   慈愛と威厳と聡明さで、
          見事に
女王として、
フリップ殿下の愛を若き日より育てた女王の
人としての温かさの勝利だと、、、
          お聞きしています。

美智子様は、
戦後の天皇様の人間宣言と
平民とともにあることを,
愛の名において、皇室に入られる場面い直面して、
皇太子の愛を受諾することで
平民の皇室を思う気持ちを皇居に届けてくださり、
平民とともに歩かれる、象徴天皇様として、
昭和、平成の時代を、
国民に寄り添われる天皇皇后様として、、
威厳と慈愛と、象徴としての聡明なご判断で、
戦後の沖縄などの訪問を、
お二人でなさった時のTVを視乍ら、
美智子様の愛の深さは、
皇太子さまの盾となられた行動にビックリ!!
火炎瓶事件でしたね。
とっさのことの危険な行動に、、
きっとあとで、、美智子様を愛している皇太子に、、
こっぴどく、、怒られたりしないようにと、、

 国民の美智子様ファンの一人として、、、
殿下、、美智子様を叱らないでね、、なんて、、
かってにハラハラ、、しながら、、、
TV画面の火炎瓶事件を観ていましたね。

殿下と皇太子妃というより、、、
とっさの出来事の時は
  若き皇太子とその恋に答える愛するお二人を
   瞬間の反射の行動の中に視乍ら
  絆の確かな結婚って、、、本当の存在するという
画面を見ながら、、、
平民の中に、、しかも戦時中に
これほどの、、女性が育って居たという日本を、、
再び大好きになりましたね。
復興させる事を誓いましたね。
贅沢は望みません、、、世界に日本を認めてもらいます!

 貧者の一刀であっても、、立派に子供を育てて、、
次世代の社会の一員として生きるように
主婦としてプロにならなくてはと、、
思えるようになりましたね。
女性さえしっかりと、次世代に生きる努力をすれば、、、日本は復活すると思えてきましたね。
女性は社会進出も教養かもしれないけれど、、、
3人のお子さまを育てられた美智子様のご努力は、、
日本を立てなおしていった外交に奔走された皇室には、、国民と皇室の絆になられた
「日本の、、最も優れて、、美しい、、
慈愛に満ちた健康な女性だと、、、
    やっぱり、、
日本は神様の国だと思いますね、、、。」

皇居を救ったのは、、
和気清麻呂と、、美智子様の愛の深さだと、、
私は思っていますね。
個人的な感情では、、
私だったら、、火炎瓶事件の時は、、
戦後ですから、、、覚悟はしていても、、
現場に居合わせたら腰が抜けたと思いますね。
美智子様は普通の御婦人では考えられない、、、
母性のような、、
愛するための人には、命をかけれる女性だと思いましね。美智子様は女性でいらっしゃいますが、、、
女王陛下にもなれる様な、、素晴らしい女性ですね。。
昭和の、、戦争中に生れた私たちに、
希望を下さった、勇気と愛の女性ですね。
軍が皇室を戦争に巻き込んだ、、維新以来、、、
第二次世界大戦は、、軍部が、皇室を旗に掲げて、、
戦争に参戦してゆきましたね。ドイツとの関係も
精神的には軍に影響したのではないかと、思いますよね。
昭和天皇陛下の御苦労と、、
皇太子殿下の時期時代への天皇というお立場を考えると、
孤独だった皇太子を救えたのは愛しか無かったですよね。結婚後に皇太子さまは明るくなられましたよね。
激務と、国際親善の外交というお役を果たされて、、
壊滅状態だった戦後の日本を、
希望の国として、、ミッチーブームとともに、、
テニスの軽井沢という、世代交代の若者に、、
我らのミッチーが、
皇居の皇太子殿下の愛を射止め、申し出をお受けした。い「劇的な、、、時代の川」に
虹の橋が架かりました。
   素敵でしたね、、、皇室の民主的な育児は、、
   の夜明けでしたね。
日本、、、永遠に、、日本を愛しています。
私も、、育児の時は、、
美智子様の「ナルちゃん憲法」などを読みながら、、、
身分は違っても、、、
一緒に育児をしている様な、、、
やんごとなき命を見つめる気持ちで

「我が家の愚息」を育てましたね。(^0^)💕

ただの市民を育て乍ら、、

「殿下と一緒の育児日記は、、
「ヤナギゴウリのベットの中の我が子」は、、
二間のアパートで、、我らの王子様でしたよね。
戦後の貧乏な心が、、
若者は、ミッチースタイルをして
 ひまわりのように、、
自分をアピールしたいココロになりましたよね。

美智子様の皇室入りで、、、
二重橋は、、ストップがかかるほど、
正月は大変でしたね。
今日の皇室が在るのも、、、
和気清麻呂と。。美智子様は、、
特別の皇居の存続に功績のあった方ですよね。
アメリカからマッカーサーが来て、、、
教科書に、、きちんと式服をめされた陛下の傍で、、
軍隊のラフな現場服で、
リラックスした写真が掲載された教科書を観た時、、、
日本の千年単位の歴史の大河の皇室が、、
これで、、終わるのかと、、震えましたよね。
敗戦を乗り越えて、、
日本の深遠な歴史の川の流れの中に原子爆弾が落ちて、、アメリカ兵が日本中にジープでやってきて、、
戦後は疎開地で、、小さくなりながら、、
皇室の存続は日本の歴史の存続で、、、
国があるという事につながると思って、、
しょんぼりとして、、教科書の写真を見ていましたが
、孤独な皇太子の愛が、、平民の美智子様のテニス姿に恋をして、、美智子様が、、戦後の、、皇室に
お入りになるという,、「勇気ある「愛」」と、
「御意志の強さ」が、、
日本の皇室を
一時的な。。
大戦の為に失ってしまう事のない道に進まれ
 日本人、、桜と、、皇室と、、歌会始め、、
 残りましたね、、、
和気清麻呂さんと、、美智子様は
皇室を救ったと、、
アメリカのマッカーサーも、、
日本の国民は深遠なココロと、、教養のない国民と
入り混じっていて、、、
日本は、簡単に判断できない国と思えて来て
理解するには時間が必要と、、知人に言ったとか、、??「秘めたる深い心の川をせき止めることはできなかった。

 歴史の大河の川面には、、
皇太子と民間人の美智子様の恋が,、
虹の橋をかけて、、「皇室と国民の懸け橋」になられた。

時代の歴史が途切れる事のない、、
日本の日本たる歴史の大河を未来につないだ女性だと、
私的には、、、美智子様は、、、
愛子さまという名の女帝に
皇室の威厳と、
「君臨すれども統治せず」という

 民とともに、、永遠い流れ続ける大河の流れを
    勇気で、、未来につなげる女性だと、、、
 私的には、、信じたいですね。、
    「昭和 平成 令和」と
3つの時代を観てきましたね。

これは、、サイトの解説の方に
お手紙のつもりで描きました
個人的な思い出なので、
、削除されて下さってネ(^^
 私的な感情ですが、、、つぎの女帝の時代に、
 和気清麻呂が再来することのないように
  
エリザベス女王にように、、、フィリップ殿下が
ささえてくれると信じて、、
日本は、天皇様がいらっしゃるから、、、
日本なのだと思える歴史を、、
国民が架け橋を懸けて、

 おささえしてゆきましょうね。。。

お読みになられたら
削除してくださるよう、、かって乍ら、、、
おしゃべりしたくなってしまいました。
和気清麻呂を知っている人に会えたようで、、
若返りました。     歴史のサイト、、面白いです! 
朝はワカラナイ、、、80歳の婆ちゃんのおしゃべり
  読んでくださって感謝します。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「歴史 今日の出来事」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事