勅使塚
静岡県袋井市豊沢
法多山(はったさん)尊永寺
遠州地方の名刹、法多山 尊永寺に向かう途中の里で、宝野という集落があります。平安時代末期に院政を敷いて平清盛と蜜月の関係から やがて対立し、暗闘を繰り返した後白河天皇が勅使を送り、勅願寺である法多山に参拝するように命じています。
毎年、十五夜の法多山の祭礼に京都から勅使が参拝していました。ある年、後白河帝に定められた日の夜明け前に参拝する命を受けた勅使は、月明かりの中を寺へといそいでいました。ところが雉(きじ)が月明かりを朝日とまちがえて一声鳴いたため、勅使は参拝の願いがかなわなかったと誤解し、来た道を引き返して、途中の茶屋の一室にこもり切腹してしまいました。
勅使を哀れんだ村人は、茶屋のそばに勅使を葬り塚をつくって菩提を弔ったと伝えられています。以来、法多の村では雉を飼わなくなったとも伝えられています。
平安時代も終盤になると、栄華を極めていた平家に反目し、暗闘を繰り返した後白河帝。
法多山は当時、後白河帝の勅願寺だったことから、平家打倒の祈願を勅使に託したのでは?
と想像しました。