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日本歴史紀行

北海道地名由来史 11  北見市



北見市カントリーサイン



北見市



北見市は、冬季オリンピックで女子カーリングチームが活躍したチーム、ロコソラーレ LS 北見の本拠地として、一躍有名になった街です。


北見市は、端野、留辺蘂(るべしべ)、常呂(ところ)、の3町と平成18年に合併したことにより、北は旧常呂町域のサロマ湖から旭川市へと抜ける石北峠まで、直線距離にして約100キロ超の北海道一広大な面積(日本第4位)を持つ都市となりました。




北見市は、北海道命名の父、松浦武四郎により、かつて野付牛(のつけうし)と命名され、語源は、アイヌ語でヌプ、ウンゲシ~(野の、端 )とされています。


やがて、野付牛町は、発展していく中で、野付牛という名前は対外的に如何なものか…
という議論が町議会から起こり、その北見の名の由来は【この地一帯を従来から北海岸と唱えてきたので、北の一字をとること、さらに快晴の日には樺太島が見えるので、北見と命名してはどうか?】と意見が出ました。

これには、野付牛の東の都市 網走市にかつて北見という字があったことから、網走市民から反発も起きたそうです。




北見 最初の入植は、合資組合~北光社により始まりました。

北光社は、幕末の志士 坂本龍馬の甥、坂本直寛が設立した組合で、キリスト教思想にふれて民主的な自治国家の建設を夢見た坂本直寛が高知県議会議員時に、盟友で国会議員の武市安哉が議員辞職して北海道開拓と教会設立したのを機に自らも北海道開拓を志し、明治30年、一族と合資組合 北光社移民団を引き連れて入植します。

移民団はクンネップ原野に入植、北光社農場を開き、開拓の鍬を入れました。

また、同じタイミングで全国から募集した屯田兵が入植し、北光社と共に北見開拓の礎を築きました。



坂本直寛 その後…

北光社の二次移民が決まると、坂本直寛は社長を辞職し、盟友、武市安哉が興し、志し半ばで急死した空知の聖園農場の経営を引き継ぐため、空知地方の浦臼町へ移ります。

そして聖園農場の経営が軌道に乗ると、経営を義姉らに託し、旭川市、釧路市と布教活動を経て、札幌市の北一条教会の牧師となりました。



札幌市 カトリック北一条教会





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