三方原古戦場 碑
浜松市中央区根洗町 三方原墓園前
元亀3年12月22日(1573年1月25日)
三方ヶ原の戦い 徳川家康 大敗
1568年永禄11年
駿河、遠江の今川領を大井川を境に武田信玄と切り取った徳川家康。
やがて武田信玄は遠江に侵攻して、今度は徳川領を脅かし、浜松の北、三方ヶ原で激突します。
浜松城を素通りしてみせ、西に進路を向けた武田軍に対し、これを見過ごせば、徳川家の武門の面子にも関わると、家康は信玄に野戦を挑みます。
数で劣る徳川軍が背後を衝くと読んだ武田信玄は、自軍の軍勢の中央を厚く構える魚鱗の陣形を組んで万全な状態で待ち構えていて、戦いは2時間ほどで決まり、武田軍の圧勝となりました。
徳川家康、生涯最大の負け戦となりました。
この戦いでは、夏目吉信、本多忠真といった多くの徳川家臣が家康を逃がすべく奮戦して生命を落としました。
三方原の戦い 犀ヶ崖古戦場
浜松市中央区鹿谷町
この戦いで大敗した徳川家ですが、家康が浜松城に戻ると、夜営する武田軍に夜襲を仕掛けました。
深夜、崖の上に布を張り巡らして橋に見せかけ、鉄砲を撃ち掛けて寝静まっていた武田軍を驚かせます。
橋と思い込んだ先は犀ヶ崖と呼ばれる城下の断崖で、殺到した武田兵が転落死しました。
武田軍に一矢を報いる夜戦を決行した徳川軍。
以来、この付近の地は布橋町と名付けられました。