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日本歴史紀行

歴史紀行 53 常盤御前就捕処碑



常盤御前就捕処 碑 【ときわごぜんしゅうほのところ ひ】


京都市伏見区 西奉行町 公務員桃山合同宿舎敷地内


常盤御前は近衛天皇の中宮 九条院(藤原呈子)に仕える雑仕女(ぞうしめ~下級女官)が公募された際に千人の中から選ばれた美女で、見目よき13歳の少女でした。


常盤が14歳の頃、源 義朝に見初められて愛妾となり、16歳で長男 今若、18歳で次男 乙若、そして三男の牛若(源 義経)を22歳の時に出産します。


常盤は京、洛北の義朝の邸宅に身を置き、源氏御曹司の愛妾として子宝にも恵まれ、順風満帆な生活が続くかと思われるも牛若出産の年の暮れに義朝は平治の乱で挙兵し、緒戦は勝利するも、老獪な平清盛の政治力と軍勢の配置に敗れ、義朝は落ち延びました。

年が明けた平治2年、義朝が落ち延びた尾張 野間で裏切りにあって命を落とし、首が京に運ばれて獄門に晒され、間も無く義朝の長男 義平も捕縛されて処刑され、さらに三男の頼朝も捕らわれたと風聞が流れると常盤は三人の男児を連れて京、洛北の邸宅を離れると清水寺に詣でた後に大和国 宇陀郡の伯父の元に身を寄せて潜伏します。

やがて常盤の母が平家方に捕らわれ、厳しい尋問をされていると噂が伝わると、三人の男児を連れ、京を目指します。

京の南の伏見にまで来た所で平家方に捕らわれました。

常盤が六波羅に出頭する風聞が宮中に流れると、かつて常盤を雑仕女として使っていた九条院は着物と車を用意したそうです。


平治2年の暮れ、雪の降る六波羅に出頭した常盤は平清盛ら平家一門に三人の男児の助命を嘆願します。

清盛はこの年、源氏嫡流の頼朝を母、池禅尼の嘆願で助命し、伊豆に配流したことで傍流の遺児にまで手をかける意思はありませんでしたが、三人の男児は僧として生かすことを条件に許しました。

そしてもう一つ、常盤の身は清盛が預かることでした。


常盤の美貌に魅せられた清盛は愛妾として一時期 側に置き、やがて常盤は身籠り、女児を出産します。


生まれた女児は能子(後の廓の御方、三条院)と名付けられ、後に平家一門の滅亡を壇ノ浦の戦いで見届け、兄の義経により京に戻されました。

母の常盤は、平家滅亡後、兄の頼朝と不和になり消息を絶った義経の身を案じ、東国を目指した先の関ヶ原宿で盗賊に襲われて命を落としたと伝わります。


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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@shizuyashizu ここは官舎内の通りみたいな感じで、敷地に入るのに、本当に大丈夫か?と勇気がいりました。
スマホ片手にウロウロ…いかにも撮影ですよ。
って態度で探しました。(笑)
shizuyashizu
私が訪ねた時は、ちょうど工事中で、この碑がよく見えませんでした。
隙間から見るのは辛いですね(^0^;)
葵さんは上手く撮れていてうらやましいです!
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