アプリコット プリンセス

チューリップ城には
とてもチャーミングなアプリコット姫がおりました

第二十章 アプリコットプリンセス 江戸時代編 家光編(解説) 3

2020-01-31 09:14:16 | 歴史解説
物語は1639年 徳川家光の時代である。

少し前の1634年に弟の徳川忠長は幕命により高崎の大信寺において自刃したとある。
家光が政権を取り幕府を治めていた前半は、
徳川忠長寄りの旧勢力への不信感が拭えず、
絶えず警戒していなければならなかったと思う。
しかし、実際は旧勢力には大きな力は無く、
家光の懸念は無くなりつつあったのだ。
その過程で、家光を戒めていた旧家臣を遠ざけて
自らの世話をする小姓六人衆に政務を委ねる体質が表面化してきたようだ。
そして、この過程で、青山幸成をはじめ多くの家臣が蟄居させられたのだ。
家光は旧勢力と将軍を戒める家臣の区別をする余裕はなく、
その全てを排除したのだ。
そして、物語は今1639年である。

第二十章 アプリコットプリンセス 江戸時代編 家光編(解説) 2

2020-01-25 08:45:21 | 歴史解説
将軍家光の破天荒な振る舞いは織田信長に共通するものがある。
信長も小姓を連れて野山を駆け回り遊び呆けているように振る舞っていたが、
実際は戦闘訓練であったと思われる。

家光の時代は戦国の混乱は無かったが、
牢人がはびこり、海外からも圧力を受けており、
油断していれば、何が起こるか分からない時代でもあったから、
万全の態勢で臨んでいたのでしょう。

将軍家光は小姓を先鋭の戦闘員に育て上げようとしていた。
逸話には、カモ狩りに弓矢が無く、石つぶてで仕留めよとの命令を下すシーンがある。
しかし、辺りは綺麗に清掃されており、小石一つ見つからない。
さあ、小姓ども如何する?とばかりの難問を突き付けるのである。
将軍の命令は絶対である。しかし、辺りには小石一つ見つからない。
例えば「将軍!石つぶては見つかりません」などど言えば、
この小姓は命令違反で処罰される筈です。
実際の戦闘では見つからないからでは済まされないからです。

この時、松平信綱は咄嗟に店先の蛤を掴んでカモに投げつけ
他の小姓も従った。
カモは捕獲出来たが、売り物の蛤は全て投げ捨てられて放置されたのです。
このようにして、松平信綱は家光の問いに応えるべく実績を上げていったと考えられます。

第二十章 アプリコットプリンセス 江戸時代編 家光編(解説)

2020-01-24 16:15:37 | 歴史解説
歴史は、これ程の権力を持っていた大老達を全て失脚させ、
速やかに新体制に移行している。
この移行期に多少なりとも松平信綱が画策していたのであろうが、
実際は将軍家光の意向であると考える。

徳川第一の傍目と称えられ、将軍自ら我が右腕と言い名実共に
その力を発揮していた酒井忠勝があっさりとその権力を
小姓上がりの松平信綱に奪われるのは釈然としない。

家光は小姓をつれてキジ狩りを楽しみ、
独自の施行で演芸や、狩りで得た獲物で酒宴に興じていた。
そのなかに、色々な逸話が残されている。
家光が酒に酔って小姓に高いところから飛び降りるように言うシーンである。
将軍に飛び降りろと言われれば飛び降りるのが小姓の定めであり、
例え死んでも命令には従うのが務めであったから。
酒に酔った余興での悪ふざけであっても
飛び降りるのが当たり前の世界なのである。

その逸話は、ある者の機転で救われたことになっているが、
実際は救いようのない過酷な試練が小姓には待ち受けていたと考えられる。
ではなぜこのような悪ふざけを続けていたのか?

これは、将軍家光が自分に忠義を果たす酒井忠勝以上
の忠義を持った小姓を育成することが目的であったのでは
あるまいか?

酒井忠勝は忠義のため自らの命をなげうったとして、
忠義者の烙印を手にしたのであるが、
きっと、そのような些細なことで
殺しはすまいとする、計算も垣間見れる。
しかし、将軍家光に使える小姓は
宴席の余興で飛び降りよと言われても
躊躇なく飛び降りることができるほど
将軍の命令には絶対服従なのだ。

家光にとって、もはや酒井忠勝は
たいした忠義者でもなかったのであろう。