先週末、2週間の入院を終えまして、ようやく我が家に戻ってきました。ありがとうございました。ご心配とご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。どうも入院中は過保護にしてくれていて気づかなかったのですが、普段に戻りますと思いのほか体力の低下を感じます。まぁそれでも、階段を 2階分( 1階から 3階に)上がっても大きな疲れはないので、まずまずかな…などと勝手に考えています。少しずつ、、焦って反対に身体を壊すことのないよう養生を続けたいと思います。
さて、入院中と言うのはある種、隔絶された世界でして、それはそれでいろいろに思い考えることが出来ました。大袈裟なことを言わせてもらえば、人間の終末にあってその尊厳、長患いにあっての心の問題、病院と患者の関係など…。患者さんの入院理由は様々でしょうけど、やはりそこには人間対人間のやり取りがある訳でして、患者も病院側も相手への思いやりを持てないと、何と言いますか、いい看護(の状態)は成立しないように思えました。
別に私が不快な思いをした訳ではないのですが、2週間と言うのは意外と長いもので、同部屋の患者さんも結構入れ替わりがあり、また私自身もお部屋の引っ越しがあったりして、その間、様々な患者と病院側のやり取りを見させられました。概ね大きな問題なくあったのですが、中に自分の都合ばかり押し付ける年配の男性がいらして、病院側がしばらく対応に苦慮しているのを目の当たりにしているときは、思わず「相手だって人なんだから、少しは相手の都合も考えたらどうなんだ!」と代わりに言ってやりたい気持ちになったり、、言いませんでしたけど…。
私がICUから一般病棟に移ったとき、その同じ部屋に88歳になると言う(聞き耳、立てて失礼しましたが)お爺さんが先にいらして、看護師に冗談を言って笑わせたり、何かしてもらえば常に「ありがとう…」としみじみ話していました。とても柔らかいその声と話し方は、変な話ですが、周囲を癒すような不思議な雰囲気がありました。当然かもしれませんが、そのお爺さんは看護師に人気があるように見えました。私は改めて看護は「してもらっているんだな…」と思えてきて、何かそのお爺さんに学ばせてもらったような気がしました。
最初にこう言った感覚があったものですから、お爺さんの後、あの年配の男性がいらしたときはその差に少し驚きました。何ですかね、同じように人生重ねても、その「人(ひと)と為(な)り」の違いが出ているように思えて、上手く言えませんが、そういう意味では少々不快な思いをしましたね。それでも多くの患者さんも看護師やお世話してくれる方々も、赤の他人が急に共同生活を営まなければならない中にあって、お互いに心地良く過ごせるよう気遣いがそこにあると「人間って素晴らしいな…」と素直に思えたものでした。
早朝、まだ静かな院内の廊下。さわやかな朝日が綺麗でした。
人って弱っていると自然と優しくしてもらいたくなりますよね。強面(こわもて)の野太い声のおじさんが、看護師に甘えているところなんかとても印象的でした。人間は一人では生きられないのですから、出来るだけ相手のことを考えて、優しさや思いやりを大事にしなければいけないな…と感じました。そして何より、いのちがあってのお互いであって、いつ無くなるとも分からない、この刹那で危ういこの時を大切にしたいと思いました。多くのサポートに心から感謝しています。ありがとうございました。皆様のご健康とご多幸を祈念しております。合掌。
入院中、雪が積もりました。大山が麓まで雪化粧なんて珍しいです。
その雪も数日後にはすっかり無くなりました。
退院の前日、夕焼けと富士山を撮ってみました。
退院の数日後、大きな虹が出ました。いいことあるといいな…。
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