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簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第一回

  諸田玲子氏著作の「今ひとたびの、和泉式部」を参考にして投稿記事を考えています。「和泉式部日記」を含め生涯の史実をもとに、ミステリー仕立てにした物語なので、どこまで簡略化できるか自信はないです。

  今回からしばらくは、「和泉式部関係系図」や成長の簡単な解説、その後には紫式部の娘のことも少し書いてみたいと思います。


簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第一回

  和泉式部は、父は越前の守大江雅致(まさむね)、母は越中守平保衡(やすひら)の娘で。皇后昌子(後の太皇太后昌子内親王)に仕え、介内侍と呼ばれた女房であった。
  式部は父の実家の大江邸で生まれ育った。両親のつてで宮中にあがってからは、太皇に実の妹のごとく愛しまれた。御許丸(おもとまる)と呼ばれたのも、太皇がいつもそばからはなさなかったからだ。

  代々、式部大輔をつとめる大江家の娘ということで「江式部」と呼ばれるようになってからも、太皇の話し相手をつとめ。共に書を学び歌を詠み、仏事に没頭する日々だった。

  宮中は恋の無法地帯だ。相聞歌のやりとりは日常茶飯事、暗がりで袖を引かれることもしょっちゅうだし、男女が枕をかわすのはあたりまえ、そんなことぐらいではだれもいちいち騒がない。ただし、結婚となると・・・・・。
  結婚は許可がいらない。証文もなかった。が、女の、もとへ三日かよって「三日夜の餅(みかよのもちい)」を食べればそれが夫婦の証だ。知人縁者を招いて「所顕(ところあらわし)」ー-つまり披露宴をおこなえば、世間からも結婚したとみなされる。

  式部は両親からいいふくめられていた。
  「おなじ男を、三晩通わせてはならぬぞ。おまえの姉たちは皆、つまらぬ男の妻になってしまった。おまえにはの、父がとびきりの夫を選んでやる」
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