簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第三回
道貞は結婚後、和泉国の国司(受領)となった。
その後、太后が重篤になっていることを知った今、式部はじっとしていられなくなった。
和泉国から京の都までは一泊二日の旅である。舟で淀川を遡り、山崎で一泊して牛車に乗り換える。洛中へ入ったときは黄昏時になっていた。
往来が一気ににぎやかになる。
昨夏は流行病で死人が山をなした。大路でさえ目をあけてとおれたものではなかった。今はもう打ち捨てられた骸(むくろ)は見かけない。
式部は物見窓をとざした。穢れや魑魅魍魎(ちみもうりょう)が入り込まないように。
結婚当初は、世の常にならって、夫が夜な夜な妻の里邸へかよっていた。しかしそれではいちいち面倒だし、風雨にじゃまされたり、方違えの必要が生じたり、後朝(きぬぎぬ)の別れもつらい。式部は夫の邸宅のひとつに迎えられ、一緒に暮らすようになった。そのときはすでに懐妊していてほどなく子が生まれた。しかも和泉国の国司となった夫が単身で赴任したこともあって、二人きりで過ごした時間は短かった。
道貞は式部が熱いのに冷たく、流氷のごとくつかみどころがない。蜻蛉のように儚げなのが気がかりなのか、任地の夫からは矢の催促。稚児が三歳になったのをしおに、初夏の候、式部は夫の任地へおもむいたのだった。
「わたくしも独り寝は寂しゅうございます」
太后を見舞いたいと道貞に懇願したのは自分だ。それなのにようやく太后に会えるという今になって、夫の目の色ばかりおもいだすのはなぜだろう。独りで都へもどったのはまちがいだったのではないかと、式部はおもいはじめていた。
参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」