4-1.後宮の女房 伊勢
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
ところで、小町のあとの才媛といえば伊勢である。色好みの平中(へいちゅう:元良親王の色好みが上流階級の豪奢で放恣な華やぎがあったのに比べ、平中はずっと庶民に近い、しばしば失態を演じ、あまり恰好よいことばかりではなかったが、人気があった)を散々に翻弄した伊勢は、「伊勢集」の冒頭の詞書によると、その父伊勢守藤原継蔭も娘の才を高く評価していたのであろう。「平凡な男と結婚させたくない」と考えていたらしく、宇多院の女御温子のもとに女房として出仕させた。
温子の父は関白基経、兄に時平、仲平(なかひら)がある。藤原氏の権勢にまかせた華やかな後宮であったと想像される。伊勢の社交的才質はここを舞台として惜しみなく発揮されたと思われるが、まずは仲平との恋が注目される。
この権門(官位高く権勢のある家柄)の次男との恋を、国守級の官人(受領)の父には不似合いな間柄とみて不安を感じていたらしい。そして、その予想は的中して、仲平はその身分にふさわしい家柄の姫君の婿となり伊勢との交流は絶えてしまった。伊勢は恥じて父の任国である大和に引退する決意を固め、最後の歌を仲平に届けている。
三輪の山いかに待ち見む年経(ふ)ともたづぬる人もあらじと思へば
(私はもう大和に引退致します。そこに坐(いま)す三輪の神はどれほどあなたのおいでを待つことでしょうか。私ももちろんですが、たぶん何年待っても訪(おとの)うてくださることはないと思いますと、歎(なげ)かれてなりません)
これは当時、すでに古歌として伝えられていた三輪地方の歌、「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」を本歌として読まれており、古雅な優しさをたたえている。直截に「とぶらい来ませ」とは言えない捨てられた女の立場からの未練の情を内攻させながら、二句切れの詠嘆に屈折した心情をにじませ、終わりまで詠み弱りのない落ち着いた声調を保っている。
こうして別れるとなると未練が生まれるものか、仲平は奈良坂まであとを追ってきて返歌を届けた。
もろこしの吉野の山にこもるとも思はむひとにわれおくれめや
(もろこし(唐土:中国)ほどに遠く思われる吉野の山に引き籠ってしまっても、私の思いびとのあなたにおくれて都にとどまるものではありませんよ)
つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)