7-1.小野小町 移ろう花の色
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
貫之が小町の代表歌としてあげた歌は三首ある。
思ひつつ寝(ぬ)れば人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
色見えで移ろふものは世の中の心の花にぞありける
わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ
和歌の神さまのように崇められてゆく貫之の評価であるから、この三首は女性歌人の一つの目標として尊重されてゆく。
鎌倉初期の頃著された「無名草紙(ぞうし)」にもこの三首があげられ、「女の歌はかやうにこそと覚えて、そぞろに涙ぐましくこそ」と共鳴の言葉が書かれている。
たまたまこの三首の主題が、恋・移ろふ心・浮き草の身とあって、恋による女性の人生を典型的にみせたような構成になっており、小町がしだいにその代表として説話的成長をとげる兆しを見せているといえる。
貫之は、小野小町のその詠風を「あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし」と評したことはあまりにも有名だ。
それにしても貫之の「あはれなるやうにて、つよからず」は、今日的なストレートな読みで読むと誤解が生まれるかもしれない。「あはれ」は「しみじみと身にしみる気分」である。そうした気分の醸成は明確な言語表現から生まれるものではないから、「あはれ」を表出する文体がつよくないのは当然のことなのだ。つまり「つよからず」は、否定的に述べているのではなく、女文体、女の物言いとしてそれを肯定したところに生まれた言葉で、重ねて秀歌は、たとえていえば、「美女が心の裡に悩むところをもっているようだ」といったいる。悩ましい恋の歌を多く詠み残した小町の風体をよく言いえているといえよう。
ところで貫之は、秀歌としてあげた「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」という歌を、どう読んでいたのだろう。上句の「色見えで移ろふ」というあたりに、そこはかとない女の物言いの嫋(たお)やかさを感じて、「つよからぬ」部類にかぞえたのであろうか。歌の読みが時代によって少しずつちがってくるのは当然で、この読みの返歌に耐えうることも作者の一つの力なのである。
今日的な読みからすれば、この上句にはすでにかなりの歳月にわたって、世間のなりゆきを、「恋」ひとつにとどまらず見つめてきた人の詠嘆の声がこもっていると思われる。その「移ろふ」現象を「世の中の人の心の花」だと、「ぞ」、「ける」の係り結びに強調しつつ言いあらわした心だましいは、「たをやめぶり(優雅で理知的な女性的作風。男性風は「ますらおぶり」)」に仕立てながら、なまなかなものではない断言である。小町は「夢」の恋をうたうとともに、「花」にも独特の思想を加えてうたいはじめた歌人だったのである。
つづく (次の予定も「小野小町」)