解説-20.「紫式部日記」日記の原形
山本淳子氏著作「紫式部日記」から抜粋再編集
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日記の原形
経験の浅い紫式部が、前半記録体に記されるようなこと細かな事実を見、またメモするには、主家から取材が許可されなくてはならない。才芸の女房として雇われた紫式部は、通常の業務に加えて主家のために晴儀(せいぎ:朝廷の儀式を、晴天の日に正式に執り行なうこと)の記録を作成する任務を、特別に与えられたのだろう。
ところで紫式部は前半記録体の中で、「源氏物語」が作られた際、自分が書いた完成原稿はすべて手元から失せ、いっぽう草稿がまとまって流出してしまったと記し、無念さを顕にしている。
献上本「紫式部日記」においては、その轍を踏まぬよう、自分のための写しを取っていたに違いない。それをもとに、大きく作り変えて誕生したのが、現行「紫式部日記」の原形だったと考える。
現行形態さえ文学作品としての統一感に欠ける「紫式部日記」だが、これに首部が付いた私家本原形は、さらにまとまらない印象を呈するものだっただろう。だがそれは作者の意思が、この書き物を文学的に完成させるよりも、第一に情報として役立つものにすることを優先したためと考える。
その「情報」ということの意味については、次項で述べる。本の製作には高価な紙を必要としたはずだが、この作品には「いとやつれたる」形で反故(書きそこなったりして不要になった紙)を使ったことが消息体末の挨拶文に記されており、そこからも、執筆がごく私的な営みであったことが窺われる。
なお、公的な性格を持つ献上本が、献上先の貴さゆえに流布せず、私家本のほうが広まるのは、古典籍の世界でしばしば見受けられることである。
つづく