解説-24.「紫式部日記」日記の構成と世界-女房たるもの、いかにあるべきかB1
山本淳子氏著作「紫式部日記」から抜粋再編集
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日記の構成と世界-女房たるもの、いかにあるべきかB1
構成
A前半記録体部分
B消息体部分
C年次不明部分
D後半記録体部分
今回は「B部分一回目のB1」
この部分は、前半記録体とは明らかに文体もスタンスも違うが、文脈としては全く連続している。従来「このついでに」が消息体の開始となされているが、それは便宜的なことで、記録と無関係な女房批評は、実際には「このついでに」の直前、宣旨の君の記事から既に始まっている。
記録体で、主家の晴事というテーマでは篤成親王誕生関係の諸事を、自分の成長記録というテーマでは寛弘五年大晦日の盗賊事件を記し終え、筆は自然に批評へと移ったのだろう。
消息体部分で紫式部が記すことは、一貫して「女房たるもの、いかにあるべきか」ということである。
まず彰子女房から数人を紹介、その容姿や性格を見渡してゆく。とりあえずの結論は、女房は「心ばせ(気配り,心遣い)」こそ得がたいものだということ、「心重く、かどゆゑも、よしも、うしろやすさも」すべて兼ね備えることが理想だということである。
この「落ち着き、才覚教養・風情・仕事能力」という価値基準は一見どの後宮にも共通するかのようだが、「今めかしさ」や「気ぢかさ」で親しまれた定子後宮とは異なる。紫式部は、彰子女房は普遍的美質を持つ正統派であるべきと考えているようである。
次に、斎院女房中将の君の手紙の話題を持ち出すが、それは彰子後宮の情緒に欠けることを俎上に載せるためだった。確かに後宮は斎院に比べ環境的に劣るが、そうした外部要因だけではなく、女房たち自身に問題があると紫式部は指摘する。
上臈女房たちのお嬢様意識が過剰な消極性につながり、日常業務への実害さえ引き起こしているというのである。かしこまりの言葉「侍り」を連発しながら、「いとかく情なからずもがな」、もっと風情をと紫式部は主張する。
女房として周りが見えてきた紫式部は、女房がどれほど重要な責務を負う、政治的な存在であるかを知っている。
敦康親王と篤成親王の後継争いは目前に迫っている。貴族たちは篤成親王を歓迎するに違いないが、彰子後宮の不人気や、貴族たちの定子への追憶は良くない材料なのである。
次回はB消息体部分:三「才女」批評B2