14 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 1ヨ 直前まで対米戦争を想定していなかった日本 」
第1章
ルーズベルト(FDR)が敷いた開戦へのレール 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
1イ まえがき
1ロ アメリカの決意、日本の一人芝居
1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり
1ニ なぜルーズベルト(FDR)は、中国に肩入れしたか
目次漏れ項目 日独伊三国に向けられた「防疫演説」
1ホ 中国空軍機による九州来襲
1ヘ 日本の外交暗号をすべて解読していたアメリカ
1 ト 中国軍に偽装した日本本土空襲計画
1チ 日本を戦争におびき寄せた本当の理由
1リ ルーズベルト(FDR)を喜ばせた三国同盟の締結
1ヌ 着々と進む日本追い詰め政策
1ル 開戦五か月前に日本攻撃を承認した文書
1ヲ 「日本という赤子をあやす」
1ヨ 直前まで対米戦争を想定していなかった日本
1タ 日米首脳会談に望みをかけた近衛首相
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1ヨ 直前まで対米戦争を想定していなかった日本
近衛内閣が日米交渉を始めた時点では、陸海軍は日米関係が悪化しつつあったものの、まだ、対米戦争にまでなるとは深刻に考えていなかった。
陸海軍も、日米交渉が成功することを、強く期待した。
対米英蘭戦争となれば、当然、アメリカや、イギリス、オランダが領土としている東南アジアの植民地が、戦場となった。
陸海軍は太平洋の欧米の植民地や島々において、米欧と戦うことを、まったく想定していなかった。日本の国力からいって、そのような戦争を想定することが、できなかったからだった。
政府、軍にとって、日本の国力を比較すると、格段に差があり、工業力の差は20倍にもなるということが、常識となっていた。事実、アメリカが先の大戦中に建造した空母の数が104隻であったのに対して、日本は12隻だった。アメリカの航空機生産は、1944(昭和19)年だけをとっても、100,752機に達した。
もし、日本が対米戦争を企てて、早い時期からアメリカと戦うことを計画していたとしたら、サイパン島、テニアン島、トラック島をはじめとする、第一次大戦後に日本の南洋委任統治領となったマーシャル諸島を、要塞化したはずである。
ところが、開戦後の1944(昭和19)年はじめまで、日本は南洋諸島に防備を施すことが、まったくなかった。
もし、十分な時間をかけてこれらの島々に防備を施していたとすれば、サイパンや、テニアンをはじめとする諸島に来攻したアメリカ軍に対して、もっと頑強に抵抗することができたろう。少なくとも、短期間で奪われることはなかったはずだ。
陸軍は南方作戦について、まったく準備していなかった。
陸軍がマレー半島、フィリピン、ビルマ、蘭印侵攻作戦の着手したのは、開戦の九カ月前の三月のことだった。海軍にいたっては、わずか四カ月前だった。
それまで、陸軍はジャングル戦に備えた訓練を、一度も行ったことがなかった。
開戦が決定すれば、これらの侵攻することになる地域について、作戦の遂行に当たって、かならず事前に用意される詳細な地図も、自然環境や現地の風俗などを調査した兵要地誌も、欠いていた。
陸軍はもっぱら宿敵として見立てたソ連との戦争に備えていたし、海軍はアメリカと日本海海戦のような艦隊洋上決戦を戦うことしか、想定していなかった。
日本の陸海軍は、南方を戦場とするような形の戦争を、予想したことも、計画したことも、まったくなかった。
著者は高松宮宜仁(のぶひと)親王殿下に何回もお目にかかって、戦前から対米戦争に至るまでと、戦中戦後のお話をうかがったことがあった。殿下は開戦時には、中佐として軍令部に勤務されていた。
著者が「戦争がどのような形で終わると、創造されましたか?」とおたずねすると、「アメリカの主力艦隊が日本近海まで進出してくるのを迎え撃って、日本海海戦のような艦隊決戦が戦われ、それにわがほうが勝って、戦争が終わると、漠然と考えていたね」と、お答えになった。
日本は対米戦争を戦うのに当たって、長期的展望を持つことが、まったくできなかった。それにもかかわらず、勝算なしに対米戦争に飛び込むことを、強いられた。
陸軍も、海軍も、緒戦の一年か二年しか、思い描くことができなかった。
海軍は日本海海戦のような艦隊決戦を、それも一回だけ戦われることを、想定していた。
しかし、仮にアメリカに対して艦隊決戦を行なって、一回戦ったとしても、もし、戦争がそこで終わらずに、消耗戦に持ち込まれた場合にどうするべきなのか、考えていなかった。
日本は短期戦争を戦う能力しか、持っていなかった。
もし、長期戦になれば、日本は工業生産力において、アメリカにとうてい太刀打ちできなかった。
そのために、対米戦争を始めるに当たって、緒戦で勝利を収めたうえで占領地域を固めて不敗の態勢を確立すれば、そのうちにアメリカが戦意を喪失して講話が行われるとという、きわめて曖昧な結末しか、思い描くことができなかった。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長