山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
柏木の非業の死から二年半。死の間際に柏木から妻の落葉の宮の世話を託された夕霧は、律儀に宮とその母・一条の御息所を見舞い続けていた。ところが、訪う理由はいつしか落葉の宮への恋心へと変わっていた。
そんな折、母の御息所が物の怪を患い、その祈禱のために、落葉の宮は母と共に比叡山麓の小野に住まいを移した。秋八月、夕霧は二人が暮らす山荘を訪れ、宮に想いをうちあける。しかし夕霧は、二十九歳という年齢にしては本妻・雲居雁と愛人・藤典侍(とうないしのすけ)以外には恋の経験が少なく、言葉も態度も野暮でしかない。結局、落葉の宮の心を開くことはできず、夕霧は夜明け前に山荘を後にする。だがその姿は、御息所の祈祷にあたる律師に見られていた。
律師は夕霧と落葉の宮の仲を早合点し、祈祷のついでに御息所にそのことを話してしまう。驚いた御息所はすっかり二人が関係を持ったと思い込み泣く。もとよりこの御息所は、内親王は気高い存在なのだから降嫁自体すべきでないと考えており、娘と柏木との結婚の折にも承諾を渋った経緯があった。
御息所は女房や落葉の宮自身にことの真実を問いただそうと試みるが、うまくいかず、思い込みは深まるばかりである。さらにそこに届いた夕霧の和歌の内容から、御息所は夕霧が落葉の宮と正式の結婚をするつもりではないと勘違いする。重病を圧し、御息所は力を振り絞って夕霧に抗議の文を書く。
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後宮を彩る、后妃たち。親からの期待を一身に受けて入内し、互いにしのぎを削りながら後宮生活を送る彼女たちの人生は、華やかながら楽ではない。だが彼女たちも、いつまでも「帝の妻」ではない。夫である帝が退位する日が来れば、あるいは帝が崩御すれば、彼女たちの政治的な意味合いは変わり、世から期待されるものも変わる。そのとき彼女たちはどうなるのだろうか。
基本的には、帝が退位したからといって后妃たちとの結婚関係が変わるわけではない。だが上皇となった帝はおおかたの場合、後継者づくりという「ご公務」を終えていることが多い。つまり、実家に権力のある后妃に子を産ませるという義務からは解放されている。いきおい退位後の上皇は自らの意のままに過ごしたがる。したがって后妃も、退位をきっかけに上皇個人の好みで再セレクトされることになる。
「源氏物語」-「夕霧」巻に登場する落葉の宮の母・一条御息所は、光源氏の異母兄・朱雀帝の更衣だった。朱雀帝に后妃は何人もいたが、第一に重みのある后妃は、ただひとり男子(今上帝)をあげた承香殿(じょうきょうでん)女御だった。だが誰よりも寵愛していたのは、子どももなく正式な后妃でもない尚侍の朧月夜だった。その差はもともと見えていたが、朱雀帝が退位した時、歴然とした形で表れる。承香殿女御は夫婦合意のうえで院のもとを離れ、東宮となった息子との同居を選んだ。朱雀院は内裏を出ると朧月夜を院の御所に住まわせ、出家するまで寵愛し続けた。では一条御息所はといえば、やはり朱雀院の御所に伴われたが、扱いの軽さは以前のままだった。なお、京中には退位した上皇のための御所が何カ所があって、これを「後院(ごいん)」という。
光源氏の兄帝は朱雀院という後院に入ったので、それ以後物語では「朱雀院」と呼ばれるようになった。冷泉院も同じで、退位して後院の冷泉院に入っていたので、物語で「冷泉院」と呼ばれるようになったものだ。実在の朱雀天皇や冷泉天皇がモデルという訳ではない。
さて、では夫である帝や上皇が崩御した場合、后妃たちはその後の寡婦人生をどのように生きたのだろうか。一言で言えば、それは本人の自由であった。村上天皇(926~967)の更衣の祐(すけ)姫のように、夫の四十九日などに合わせて出家した后妃たちもいたが、それは強制ではなく、本人たちの自由意志によるものだった。息子が新帝や東宮の位についている場合は、後見として権力を持ち、世の重みも増しているから、勝手に振る舞えない。だがそうでなければ、元后妃たちは再婚することも可能だった。