8.紫式部の恋 続き3 喪失 宣孝の死 (紫式部ひとり語り)
山本淳子氏著作「紫式部ひとり語り」から抜粋再編集
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別の妻の娘との交流、宣孝の身代わりはあり得ない実感
またある時は、宣孝と別の妻の娘が桜の枝を送ってくれた。私とは血のつながらぬ娘だが、悲しみを分かち合える有難い相手だ。桜につけた手紙には「父が亡くなりこの家も手入れができず荒れてしまったけれど、桜はきれいに咲いてくれました」とある。
自然は悠久、人は無常、ああそれは真実だったのだと思う。そうしたことも、これまでよく分かったいるつもりだった。だが頭で分かっているだけだった。無常ということは人が死ぬということで、それはこんなにも寂しいことなのだ。
あの人の娘も、同じように実感しているのだろう。私は思い出した。宣孝は生前、この娘のことを随分心配していた。
歌人中務(なかつかさ)に「咲けば散る 咲かねば恋し 山桜 思ひ絶えせぬ 花の上かな(「拾遺和歌集」春36番)」という歌がある。娘を亡くした歌人が山桜に娘を重ねて「思いは尽きない」と詠んだ歌なのだけれど、宣孝はいたく感じ入っていた。子煩悩な人だった。虫の知らせか、歌とは逆に自分が居なくなった時のことを心配していたのかもしれない。私は娘に歌を返した。
散る花を 歎きし人は 木(こ)のもとの 寂しきことや かねて知りけむ
「思ひ絶えせぬ」と亡き人の言ひけることを思ひ出でたるなりし。
[「咲けば散る 咲かねば恋し 山桜」。そう嘆いてばかりいたお父様は、花が散れば木が寂しくなると分かっていたのでしょうね。自分に先立たれれば子のあなたが寂しがるだろうと、お父様は分かっていたのでしょうね。
亡き人が「思ひ絶えせぬ」という和歌を口にしていたと思い出したのだ。]
(「紫式部集」43番)
これは春の歌だし桜を見て詠んだのだから、宣孝が死んでからもうほとんど季節をひと巡りした頃に詠んだのだ。だが私にはそのようには感じられない。自分の中では時が止まったようだったからだ。
外の世界で年が明け、春の花が咲いても、宣孝との死別の痛みは癒えなかった。むしろこの歌のように、不意に様々な記憶が浮上しては私を驚かせ、泣かせた。記憶というものの鮮やかさ、それが有無を言わせず浮かび上がる時の荒々しさも、私は知った。
思い起こせば、私は今まで多くの大切な人を喪ってきた。母、実の姉、そして親友だった「姉君」。だが母が死んでも姉がいたし、姉を喪った時には身代わりに「姉君」を慕った。それで少しは気を紛らわすことができていたとは、なんと幸せな私だったのだろうか。
母を喪い、姉を喪い、「姉君」を喪っても思い知ろうとしなかった私だが、宣孝を喪ってこそ思い知った。文字通りかけがえのない人に、身代わりというものなどあり得ない。その人のいない世界を身代わりというものなどありえない。その人のいない世界を身代わりと共に生きても、それはやはり違うものでしかない。
だが、私は生きなくてはならない。娘をおいて出家はできなかった。
この項終わりです。