4 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 1ニ なぜルーズベルト(FDR)は、中国に肩入れしたか 」
第1章
ルーズベルト(FDR)が敷いた開戦へのレール 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
1イ まえがき
1ロ アメリカの決意、日本の一人芝居
1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり
1ニ なぜルーズベルト(FDR)は、中国に肩入れしたか
1ホ 中国空軍機による九州来襲
1ヘ 日本の外交暗号をすべて解読していたアメリカ
1 ト 中国軍に偽装した日本本土空襲計画
1チ 日本を戦争におびき寄せた本当の理由
1リ ルーズベルト(FDR)を喜ばせた三国同盟の締結
1ヌ 着々と進む日本追い詰め政策
1ル 開戦五か月前に日本攻撃を承認した文書
1ヲ 「日本という赤子をあやす」
1ヨ 直前まで対米戦争を想定していなかった日本
1タ 日米首脳会談に望みをかけた近衛首相
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1ニ なぜルーズベルト(FDR)は、中国に肩入れしたか
1935(昭和10)年、アメリカ議会は与党だった民主党の圧倒的な支持によって、中立法を制定した。第一次世界大戦の轍を踏むなという世論を、背景としたものだった。
中立法は他国と戦争状態にあるか、内戦を戦っている国への兵器と軍需品の輸出を、禁じた。
それにもかかわらず、1937(昭和12)年8月に、第二次上海事変が勃発すると、ルーズベルト(FDR)はその月のうちに、中立法を中国には適用しないことを、宣言した。
ところが、アメリカの世論は、第一次大戦がもたらした惨劇に懲りて、ヨーロッパの戦争に二度と巻き込まれてはならないと主張する孤立主義(アイソレーショニズム)によって、支配されていた。
これは、第二次大戦の後に、日本を今日に至るまで束縛している平和主義に、よく似ていた。
第一次大戦に参戦した過ちを繰り返すことが、けっしてあってはならないという厭戦感情が、アメリカ国民のあいだで圧倒的な力を持っていた。
それでも当時のアメリカは、ルーズベルト(FDR)をはじめとする多くの国民が、中国がアメリカの勢力圏のなかにあると、みなしていた。
中国はアメリカから、多くのキリスト教宣教師を受け入れていた。同時にアメリカ国民も、”巨大な中国市場”を夢みて、中国に好意を寄せていた。それに対して、日本はアメリカに媚びることがなく、伝統文化を頑固に守り、キリスト教文明に同化しない異質な国だった。
ルーズベルト(FDR)は幼少のころから、母親の祖父の影響を受けて、中国に好意を抱いていた。そして、アメリカのキリスト教宣教師が中国全土で活躍しているのを、喜んでいた。大統領になった後にも、祖父が中国の汕頭(スワトウ)、広東、漢口などを広く旅行した話を、楽しそうに紹介した。
ルーズベルト(FDR)は十歳の時から生涯にわたって、切手の蒐集を趣味とした。母から貰った清朝末期や、古い香港の切手が自慢だった。生涯で125万点もの、切手を集めた。
ところが、ルーズベルト(FDR)もその側近たちも、中国についてはまったく無知だった。
後に首相となった近衛文麿侯爵が、1934(昭和9)年5月に横浜を発って、アメリカを訪問した時に、ルーズベルト(FDR)大統領とコーデル・ハル国務長官と会見している。近衛は帰国後に、記者会見の席上で、「ルーズベルト(FDR)とハルは、極東についてまったく無知だ」と語って、新聞の一面に大きく取り上げられた。
一国の大統領や、要路の高官を公の場で、そのように批判するのは、賢明とは言えないが、近衛の発言は的を射ていた。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長