5 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 目次漏れ項目 日独伊三国に向けられた「防疫演説」 」
第1章
ルーズベルト(FDR)が敷いた開戦へのレール 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
1イ まえがき
1ロ アメリカの決意、日本の一人芝居
1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり
1ニ なぜルーズベルト(FDR)は、中国に肩入れしたか
目次漏れ項目 日独伊三国に向けられた「防疫演説」
1ホ 中国空軍機による九州来襲
1ヘ 日本の外交暗号をすべて解読していたアメリカ
1 ト 中国軍に偽装した日本本土空襲計画
1チ 日本を戦争におびき寄せた本当の理由
1リ ルーズベルト(FDR)を喜ばせた三国同盟の締結
1ヌ 着々と進む二本追い詰め政策
1ル 開戦五か月前に日本攻撃を承認した文書
1ヲ 「日本という赤子をあやす」
1ヨ 直前まで対米戦争を想定していなかった日本
1タ 日米首脳会談に臨みをかけた近衛首相
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目次漏れ項目 日独伊三国に向けられた「防疫演説」
1931(昭和6)年に、満州事変が勃発した。満州は万里の長城の外にあって、歴史的に満族の地であり、中国の一部ではない。漢人の立ち入りを、禁じていた。
ルーズベルト(FDR)はそれにもかかわらず、日本が中国を侵略したとみなした。
つづく日華事変にしても、日本から仕掛けられたものでは、けっしてなかった。
戦後になって、日華事変は日中戦争と呼ばれるようになったが、日本も中国も、日米戦争が始まった1941(昭和16)年12月まで、互いに宣戦布告をしなかったから、日華事変と呼ぶ方が正しい。
1937(昭和12)年7月7日に、北京から南12キロの盧溝橋付近で、日中両軍が偶発的に衝突した事件から日華事変は始まったとされているが、今日では中国共産党の挑発によって起こされたことが、明らかとなっている。
つづく8月に起こった第二次上海事変によって、日中の衝突が拡大して戦闘が本格化した。これも、中国共産党によって仕掛けられた策略だった。(盧溝橋事件から始まって、日華事変が拡大していった経緯については、第3章で述べる)
ところが、ルーズベルト(FDR)は他の多くのアメリカ国民とともに、盧溝橋事件も、第二次上海事変も、日本が中国を計画的に侵略したものだと、曲解した。
ルーズベルト(FDR)大統領は、中立法から中国を除外すると宣言した二か月後に、シカゴにおいて、国名を明らかにしなかったが、ある国々を「国際的な無政府状態」を引き起こしている国家として、非難した。
シカゴは中立主義の牙城として、知られていた。
誰の目にも、ルーズベルト(FDR)大統領が言及した諸国が、日本、ドイツ、イタリアの三国を指していたことが、明らかだった。
ルーズベルト(FDR)大統領は、アメリカが中立主義から離れて、平和愛好諸国と協力して、これらの国の侵略行為を阻止しなければならないと、訴えた。
日本、ドイツ、イタリアを危険な疫病患者になぞらえた「防疫諸国」として、後に有名になった演説である。
この演説は、ルーズベルト(FDR)大統領が中立法から一歩踏みだした。最初のものとなった。
多くの上下院議員から、この演説に対して非難の声があがった。六つの主要な平和団体が、「アメリカを世界戦争に導こうとしている」という宣言を採択するかたわら、アメリカ労働総同盟(AFL)が「アメリカの労働者はヨーロッパの戦争にも、アジアの戦争にも巻き込まれたくない」と、緊急決議を行った。
アメリカの有力新聞も、この演説をいっせいに批判した。
それもあって、日本ではルーズベルト(FDR)大統領が日本に対して邪な陰謀を進めていることを、まったく察知することもなく、この演説を重くみることもなかった。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長