簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第四回
式部にとって京の都は母の胎のようなものだ。夫とのつかのまの別れに理由のない不安をおぼえつつも、いったん足をふみいれてしまえば、水を得た魚のように体の隅々まで生気がよみがえってくる。
「三条へおこしになられますか。それとも宮中へ?」
随身がたずねた。
「三条へ」
三条の邸宅は夫の所有する家の中でいちばん大きく、四分の一町を占めている。
式部に求婚していたころ、夫は太皇太后少進だった。しかし、式部と結ばれたのちは権大進に昇進、昨年の除目(任官の人名を記した目録)では競争相手を押しのけて和泉守にも抜擢されている。
「ほれみろ、いったとおりだろうが」
「婿殿の口利きで、お父さまも左大臣のお目にとまりました。いずれはお父さまにも国司の道がひらけるかもしれません」
両親は小躍りした。
夫が和泉国へ赴任したあと、式部の家族は三条の夫の留守宅を借りて引っ越した。当時、一家が住んでいたのは大内裏にほど近い修理職(しゅりしき)町と左兵衛(さひょうえ)町にはさまれた勘解由(かげゆ)小路にある小屋敷で、式部母子を迎えて後見するには手狭だったためである。
そんなわけで、式部が夫の任地へ下向しても、式部の父や姉たちは三条の道貞邸に住んでいた。
そこへ、重篤の太皇太后昌子内親王が養生するための仮御所として三条の道貞邸を明け渡すよう下命があった。占いで吉方と宣託があったとか。今ごろは太后を迎える準備で大わらわにちがいない。
参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」